トマトを買いに出かけて、なんとなく立ち寄った魚屋さんで、あんまりいいブリがあったので買う。照り焼きもいいけれど、こっくりと煮物もいいなあと思って大根を買って帰る。
帰ってきて思う。僕はブリを買うつもりじゃなかったんだ。
梅雨らしくない天気が続く。
しとしととほんとによく降るねえ、なんて天気じゃない。傘の出番が少ない6月だった。
俄か雨みたいのが降るけれど、晴れ間も多いし、暑い。しかも中途半端に降るから蒸してしょうがない。湿気は苦手なのである。
やれやれ、今日も暑かったな。助けを求めるようにして冷蔵庫を開ける。麦茶を取り出す。生クリームが目に飛び込んでくる。そこからシナプスは次々と伝達され、最終的にほうれんそうは大丈夫だろうか、という思いに至り、その瞬間には野菜室を開けていた。
先日のことだ。大好きな、チキンとほうれんそうの生クリームトマトソースのスパゲティーを作ろうと思って、眠さを理由に先送りして、そのまま忘れていた。鶏肉は冷凍してあるからとりあえずは大丈夫だ。生クリームも、未開封のまま冷蔵だから特に問題もなかろう。
しかしこの蒸し暑い時期の青菜の放置は失態だった。野菜室とは雖も。
慌てて取り出したほうれんそうは、元気がないけれどまだ生きているようだった。こうして健気に出番を待っていたほうれんそうを、何だかいじましくさえ思う。
ごめんなさい。そう念じながら蘇生を試みる。
幸いにして、冷水に横たえておいたらずいぶん元気になった。
野菜もたくさんダメにしてきたけれど、まるで使わないままというのは、さすがに申し訳が立たない。
チキンとほうれんそうの生クリームトマトソースは、僕のパスタ遍歴の中でも古くからの定番で、大好きなのである。ずいぶん前、自由が丘のアフタヌーンでこんなのを食べて真似したのだ。
なんか、若いなと思った。ちょっと気恥ずかしい気がする。
さて、恥ずかしながら鶏もも肉は解凍し、塩、胡椒をしたら、フライパンで皮目から焼き付ける。
両面焼いて、白ワインをふる。
その後、オーブンへ。
250度で10分くらい。あとでトマトソースの中へ入れるので、完全に火が通っていなくてもよい。
肉が固くならないためには、生焼けくらいでもいいのかもしれない。
焼き上がりはこんな感じである。うすくスライスしておく*1。
あとはふつうにトマトソースを作っていく。
にんにくとオリーブオイル。
にんにくがきつね色になったら、ホールトマトを手で潰して入れる。
このあたりでパスタを茹で始める。
煮詰まったら、パスタの茹で汁でのばす。
ここで余談だが、この日はとっても暑かったので台所でビール。
パスタを茹でている湯気がもう暑くて、たまらずビールに手がのびた次第である。
パスタが茹で上がる2分くらい前に、スライスした鶏肉を入れる。
パスタが茹で上がる直前にざく切りのほうれんそうを入れる。
生クリームを回しかける*2。塩、胡椒で味を調える。
*2 まさに今思ったのだが、生クリームを入れるタイミングはパスタを入れてからでもいいかもしれない。時間にしたら、数十秒の違いだが。
茹で上がったパスタを入れ、パルミジャーノのすりおろしを加え、しっかりと和えたら完成。
ほうれんそうをちゃんと使うことができて、ほんとうに良かったと思う。
僕はどういうわけか、野菜をダメにしてしまったときに、罪の意識に苛まれる。他の食材のときよりも強く。
先日のケイパーだって、ダメにしてしまっているのに*3、このほうれんそうほど慌てたりはしなかった。
*3 使ったが。
金額的にも、ケイパーのほうが余程高いというのに。
それはおそらく、生の野菜は食べられるために、収穫された=命を奪われた、という感覚が強く感じられるからかもしれない。だから食べられるものをみすみすゴミにしてしまうという感じを受けるのだろうと思う。無論、ケイパーだってそれは同じことなのだけれど。
でもこのほうれんそう、まだもう1把残っている。
今年は、まだエアコンをつけていない。
もちろん電力不足という意識があることもほんとうだけれど、暑い暑いといいながらも、毎年夏のエアコンは数えるほどしかつけていない。どうしても暑くて眠れない夜にだけ、つけるようにしているのである。
そこで、僕の相棒を憶えている方がいらっしゃるだろうか。
こいつだ。
東芝の旧型扇風機。羽根が金属でできている、老いぼれである。
実は先日、ついに天に召されてしまった。
ガタガタと羽根を震わせながら、頑張ってくれていたのだけれど。ついにスイッチの接触不良が致命的となり、動かなくなってしまった。
蘇生は試みたのだ。
分解して埃を取り除き、接点復活剤も使用し、緩んでいた各ネジも締め直した。
でもダメだった。
もう疲れたのだ。そんな声が聞こえた気がして、涙ながらに引退させたのである。
そして、新しい相棒はこいつだ。
羽根は樹脂製に変わったが、今度の相棒もやっぱり老いぼれである。同じく東芝の旧型だ。
羽根が軽い分、音も静かである。
今年の夏も暑そうだ。よろしく頼む。
そして我が畏友よ、長い間ありがとう。安らかに。
しとしととほんとによく降るねえ、なんて天気じゃない。傘の出番が少ない6月だった。
俄か雨みたいのが降るけれど、晴れ間も多いし、暑い。しかも中途半端に降るから蒸してしょうがない。湿気は苦手なのである。
やれやれ、今日も暑かったな。助けを求めるようにして冷蔵庫を開ける。麦茶を取り出す。生クリームが目に飛び込んでくる。そこからシナプスは次々と伝達され、最終的にほうれんそうは大丈夫だろうか、という思いに至り、その瞬間には野菜室を開けていた。
先日のことだ。大好きな、チキンとほうれんそうの生クリームトマトソースのスパゲティーを作ろうと思って、眠さを理由に先送りして、そのまま忘れていた。鶏肉は冷凍してあるからとりあえずは大丈夫だ。生クリームも、未開封のまま冷蔵だから特に問題もなかろう。
しかしこの蒸し暑い時期の青菜の放置は失態だった。野菜室とは雖も。
慌てて取り出したほうれんそうは、元気がないけれどまだ生きているようだった。こうして健気に出番を待っていたほうれんそうを、何だかいじましくさえ思う。
ごめんなさい。そう念じながら蘇生を試みる。
幸いにして、冷水に横たえておいたらずいぶん元気になった。
野菜もたくさんダメにしてきたけれど、まるで使わないままというのは、さすがに申し訳が立たない。
チキンとほうれんそうの生クリームトマトソースは、僕のパスタ遍歴の中でも古くからの定番で、大好きなのである。ずいぶん前、自由が丘のアフタヌーンでこんなのを食べて真似したのだ。
なんか、若いなと思った。ちょっと気恥ずかしい気がする。
さて、恥ずかしながら鶏もも肉は解凍し、塩、胡椒をしたら、フライパンで皮目から焼き付ける。
両面焼いて、白ワインをふる。
その後、オーブンへ。
250度で10分くらい。あとでトマトソースの中へ入れるので、完全に火が通っていなくてもよい。
肉が固くならないためには、生焼けくらいでもいいのかもしれない。
焼き上がりはこんな感じである。うすくスライスしておく*1。
*1 スライスした鶏肉からは、肉汁がどんどん溢れてくるので、必ずお皿に移し、肉汁も含めてパスタソースに入れるようにする。
あとはふつうにトマトソースを作っていく。
にんにくとオリーブオイル。
にんにくがきつね色になったら、ホールトマトを手で潰して入れる。
このあたりでパスタを茹で始める。
煮詰まったら、パスタの茹で汁でのばす。
ここで余談だが、この日はとっても暑かったので台所でビール。
パスタを茹でている湯気がもう暑くて、たまらずビールに手がのびた次第である。
パスタが茹で上がる2分くらい前に、スライスした鶏肉を入れる。
パスタが茹で上がる直前にざく切りのほうれんそうを入れる。
生クリームを回しかける*2。塩、胡椒で味を調える。
*2 まさに今思ったのだが、生クリームを入れるタイミングはパスタを入れてからでもいいかもしれない。時間にしたら、数十秒の違いだが。
茹で上がったパスタを入れ、パルミジャーノのすりおろしを加え、しっかりと和えたら完成。
ほうれんそうをちゃんと使うことができて、ほんとうに良かったと思う。
僕はどういうわけか、野菜をダメにしてしまったときに、罪の意識に苛まれる。他の食材のときよりも強く。
先日のケイパーだって、ダメにしてしまっているのに*3、このほうれんそうほど慌てたりはしなかった。
*3 使ったが。
金額的にも、ケイパーのほうが余程高いというのに。
それはおそらく、生の野菜は食べられるために、収穫された=命を奪われた、という感覚が強く感じられるからかもしれない。だから食べられるものをみすみすゴミにしてしまうという感じを受けるのだろうと思う。無論、ケイパーだってそれは同じことなのだけれど。
でもこのほうれんそう、まだもう1把残っている。
今年は、まだエアコンをつけていない。
もちろん電力不足という意識があることもほんとうだけれど、暑い暑いといいながらも、毎年夏のエアコンは数えるほどしかつけていない。どうしても暑くて眠れない夜にだけ、つけるようにしているのである。
そこで、僕の相棒を憶えている方がいらっしゃるだろうか。
こいつだ。
東芝の旧型扇風機。羽根が金属でできている、老いぼれである。
実は先日、ついに天に召されてしまった。
ガタガタと羽根を震わせながら、頑張ってくれていたのだけれど。ついにスイッチの接触不良が致命的となり、動かなくなってしまった。
蘇生は試みたのだ。
分解して埃を取り除き、接点復活剤も使用し、緩んでいた各ネジも締め直した。
でもダメだった。
もう疲れたのだ。そんな声が聞こえた気がして、涙ながらに引退させたのである。
そして、新しい相棒はこいつだ。
羽根は樹脂製に変わったが、今度の相棒もやっぱり老いぼれである。同じく東芝の旧型だ。
羽根が軽い分、音も静かである。
今年の夏も暑そうだ。よろしく頼む。
そして我が畏友よ、長い間ありがとう。安らかに。
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食事のための買い物をしない日はどれくらいあるのだろうかと、ふと考えた。外食をする機会が少ない僕にとって、食事といえば殆どの場合家でとるものであり、たとえどんなにひどいもの*1を食べるにせよ、何かしら買っていることが多いのである。
もちろん、冷蔵庫の残り物を整理する日だってある。しかしながら、そんなときでも冷蔵庫の残りものに何かを足して料理することになるので、結局は何かしら買って帰ってくることが多い。例えば、キャベツや白菜が余っているときに、豚ばら肉を買ってきて回鍋肉*2を作る、などである。
*1 徹底して手抜きのものを作る例は、『サボタージュ』を参照されたい。あるいは、世界規模で展開するハンバーガー・ショップを所謂『お持ち帰り』で利用することもあるし、安価にして優秀な袋入り即席ラーメンを作ることもある。
*2 回鍋肉は、中華料理をあまり作らない僕にとって、数少ない慣れ親しんだ中華メニューのひとつである。他に作ることのできる中華料理といえば、麻婆豆腐、青椒肉絲、そして炒飯くらいのものである。
この日は、ほんとうに何も買わずに帰ってきた。驚くべきことに、買い物をしないで帰ってきたという記憶がほとんどない。前回がいつだったのかも思い出せない。別にこの日、料理をする気がなかったわけではない。今日は家にあるもの*3で済ませよう、と思っていただけである。
実は、何も買わないで帰ってくるという行動が、わりと新鮮だったのだ。帰り道、鞄以外に何も持っていないなんて。だから、前に買い物しないで帰ってきたのはいつのことだったかと、ふと考えてみたのだ。
*3 僕は食材をストックするのがひとつの趣味に近い。日持ちのする乾物や缶詰めの類は、いつ使うかもわからないのに1年分くらいは買い込んでストックしてあるものもある。パスタはスパゲティー、ペンネ、ファルファッレ、コンキリエ、フジッリ。オリーブオイル、ブラックオリーブ、ツナ缶、コーン缶、デミグラスソース缶、アンチョビ、オイルサーディン、粒マスタードの瓶詰と豊富に取り揃えてあり、ホールトマトの缶詰めについては10缶以上ストックしてある。
家にあるものだけで済ませようと思っても、冷蔵庫の中にあれがあるからとか特に当てがあるわけでもなかった。であれば、手軽でおいしい娼婦風スパゲティー*4にしようと思った。アンチョビとケイパーとトマト缶があればできる。
さて、問題はケイパーだった。ケイパーとは風蝶木の花の蕾のピクルスで、スモークサーモンにのっているあの緑色の粒である。
2010. 1. 23と読める。
つまり賞味期限切れも甚だしいのだ。
僕は普段、賞味期限はあまり気にしない。あやしいと思ったら、匂いを嗅いでみていけるか否かを判断する。全ての食材を賞味期限内に消費するなんてまず無理だし、賞味期限が切れているからといって棄てていたら、どれだけの無駄を出すことになるだろう。
しかし、じっさいこのケイパーは難しい問題だった。いくらなんでも1年半過ぎているのはダメだろう。だが、ケイパーとはピクルスである。酢漬けである。瓶の蓋を開け匂いを嗅いでみると、何のことはない。普通のケイパーの匂い*5だ。
*5 正確には酢の匂いというべきか。
ケイパーなし、という選択肢もあるにはあった。ただ、これから作るのは娼婦風スパゲティーだ。ケイパーがない娼婦風スパゲティーなんて、それは娼婦風スパゲティーじゃない。一方、今から買いに出るという選択肢はなかった。カルディはもう閉まっている時間だし、西友にはそもそも売っていないだろう。それに、今日は家にあるものだけで済ませる、という趣旨なのだ。
逡巡の挙句、僕はこのケイパーを使用することにした。
僕の鼻*6は、大丈夫だと言っている。じゃあ、そいつを信用しようじゃないか。
*6 鼻で判断するのは、セキヤ家の伝統である。特に夏場、ちょっとどうかなと思われる食品は、必ず当主である僕の父が出てきて、『うん、まだいける』と『あー、こりゃダメだ』を判断する。
*11 茹で汁でのばすのにも理由がある。ひとつは茹で汁の塩気で味をつけることと、もうひとつは茹で汁に含まれるパスタから溶け出したでんぷん質がソースにとろみをつけ、乳化を助けるのだ。
*12 ここで必ず味見をする。娼婦風スパゲティーの場合、アンチョビにもオリーブにもケイパーにも、そして今入れたばかりのパスタの茹で汁にも塩分が含まれているので、その分を考慮しないとしょっぱくなってしまう。
*13 パスタは標準茹で時間の2分前にあげている。これは、ソースと和える時間を考慮していることと、ソースと和えている間にソースの味を染みこませるためだ。
ワイン。
自分ひとりなのに、けっこうな贅沢ワインである。
家にあるものだけで簡単に、いくはずだったのだが。
実際、やったことは簡単だ。ケイパーについてもあとでおなかを壊すようなことはなかった。
しかしながら、ケイパーについての逡巡もあり、思いがけずいいワインを開けることになったりもしたので、なにやらいつもよりも長い時間料理をしていたように感じた。
さて、今回執拗なくらい脚注がついていることにお気づきの方もいるかも知れない。それは、先日ニコルソン・ベイカーの『中二階』を読んだからである。
この異常な小説は、例えばストローやらミシン目やら牛乳パックやらの日用品について深く掘り下げて考察しているだけ、というものである。ストーリーとしてはひとりの男がオフィス・ビルの1階から自分のオフィスのある中二階まで、エスカレーターで登るだけである。しかしそのわずかの間に、上記のストローやらについて、ひたすら考え、脱線し、あるものについては讃美し、あるものについては憂えている。
訳者あとがきにはこうある。
そう。この小説には厖大な量の脚注が存在するのだ。そして、それがすごく面白い!さらに、この小説の脚注には、脚注そのものを讃えている部分がある。
もちろん、冷蔵庫の残り物を整理する日だってある。しかしながら、そんなときでも冷蔵庫の残りものに何かを足して料理することになるので、結局は何かしら買って帰ってくることが多い。例えば、キャベツや白菜が余っているときに、豚ばら肉を買ってきて回鍋肉*2を作る、などである。
*1 徹底して手抜きのものを作る例は、『サボタージュ』を参照されたい。あるいは、世界規模で展開するハンバーガー・ショップを所謂『お持ち帰り』で利用することもあるし、安価にして優秀な袋入り即席ラーメンを作ることもある。
*2 回鍋肉は、中華料理をあまり作らない僕にとって、数少ない慣れ親しんだ中華メニューのひとつである。他に作ることのできる中華料理といえば、麻婆豆腐、青椒肉絲、そして炒飯くらいのものである。
この日は、ほんとうに何も買わずに帰ってきた。驚くべきことに、買い物をしないで帰ってきたという記憶がほとんどない。前回がいつだったのかも思い出せない。別にこの日、料理をする気がなかったわけではない。今日は家にあるもの*3で済ませよう、と思っていただけである。
実は、何も買わないで帰ってくるという行動が、わりと新鮮だったのだ。帰り道、鞄以外に何も持っていないなんて。だから、前に買い物しないで帰ってきたのはいつのことだったかと、ふと考えてみたのだ。
*3 僕は食材をストックするのがひとつの趣味に近い。日持ちのする乾物や缶詰めの類は、いつ使うかもわからないのに1年分くらいは買い込んでストックしてあるものもある。パスタはスパゲティー、ペンネ、ファルファッレ、コンキリエ、フジッリ。オリーブオイル、ブラックオリーブ、ツナ缶、コーン缶、デミグラスソース缶、アンチョビ、オイルサーディン、粒マスタードの瓶詰と豊富に取り揃えてあり、ホールトマトの缶詰めについては10缶以上ストックしてある。
家にあるものだけで済ませようと思っても、冷蔵庫の中にあれがあるからとか特に当てがあるわけでもなかった。であれば、手軽でおいしい娼婦風スパゲティー*4にしようと思った。アンチョビとケイパーとトマト缶があればできる。
*4 娼婦風スパゲティー!なんという素晴らしいネーミングだろう!世の中には不思議な名前の料理が多くあるけれど、こんなに素敵な名前を僕は他に知らない。由来には諸説あり、いい加減な娼婦が海のものも山のものも一緒くたにして作ったのだとか、娼婦が家にあるもので適当に作ったパスタを客に振舞って、それが評判になったのだ、とかいわれているという。個人的には、娼婦が客に振舞った、という説を採りたい。こんなにおいしいパスタを出してくれる娼婦なんて、素敵じゃないか。
さて、問題はケイパーだった。ケイパーとは風蝶木の花の蕾のピクルスで、スモークサーモンにのっているあの緑色の粒である。
2010. 1. 23と読める。
つまり賞味期限切れも甚だしいのだ。
僕は普段、賞味期限はあまり気にしない。あやしいと思ったら、匂いを嗅いでみていけるか否かを判断する。全ての食材を賞味期限内に消費するなんてまず無理だし、賞味期限が切れているからといって棄てていたら、どれだけの無駄を出すことになるだろう。
しかし、じっさいこのケイパーは難しい問題だった。いくらなんでも1年半過ぎているのはダメだろう。だが、ケイパーとはピクルスである。酢漬けである。瓶の蓋を開け匂いを嗅いでみると、何のことはない。普通のケイパーの匂い*5だ。
*5 正確には酢の匂いというべきか。
ケイパーなし、という選択肢もあるにはあった。ただ、これから作るのは娼婦風スパゲティーだ。ケイパーがない娼婦風スパゲティーなんて、それは娼婦風スパゲティーじゃない。一方、今から買いに出るという選択肢はなかった。カルディはもう閉まっている時間だし、西友にはそもそも売っていないだろう。それに、今日は家にあるものだけで済ませる、という趣旨なのだ。
逡巡の挙句、僕はこのケイパーを使用することにした。
僕の鼻*6は、大丈夫だと言っている。じゃあ、そいつを信用しようじゃないか。
*6 鼻で判断するのは、セキヤ家の伝統である。特に夏場、ちょっとどうかなと思われる食品は、必ず当主である僕の父が出てきて、『うん、まだいける』と『あー、こりゃダメだ』を判断する。
*7 トマトの水煮を手で潰すのには理由がある。機械で潰すと、種も一緒に潰すから種の苦味が出るし、それに手で潰せば中に混ざっている皮やヘタを取り除くことができるからだ。
*8 鷹の爪を入れるタイミングには人によって流儀があると思うが、僕はにんにくが色づいてから入れている。初めから鷹の爪を入れると、どうしても焦げやすいし、焦げてしまうと香りが悪くなると思うからだ。
*9 鷹の爪の種はすごく辛い。パスタにちょっと辛味をつけるくらいなら種はいらないと思う。辛いのが好きな人は入れても構わないと思うけれど、こちらも焦げやすいので注意が必要だ。
*9 鷹の爪の種はすごく辛い。パスタにちょっと辛味をつけるくらいなら種はいらないと思う。辛いのが好きな人は入れても構わないと思うけれど、こちらも焦げやすいので注意が必要だ。
*10 トマトソースを煮込んでいるときほど、周りにはねることはないのではないかと思われる。煮込み始めは、まださらさらしているのではねないが、煮詰まり始めて、少しとろみがついてからのトマトソースはガス台を容赦なく汚し、着ている服に、洗っても落ちないオレンジ色のシミを残していく。そしてトマトソースに汚されるのは、大抵お気に入りのTシャツだったりするのだ。
*11 茹で汁でのばすのにも理由がある。ひとつは茹で汁の塩気で味をつけることと、もうひとつは茹で汁に含まれるパスタから溶け出したでんぷん質がソースにとろみをつけ、乳化を助けるのだ。
*12 ここで必ず味見をする。娼婦風スパゲティーの場合、アンチョビにもオリーブにもケイパーにも、そして今入れたばかりのパスタの茹で汁にも塩分が含まれているので、その分を考慮しないとしょっぱくなってしまう。
*13 パスタは標準茹で時間の2分前にあげている。これは、ソースと和える時間を考慮していることと、ソースと和えている間にソースの味を染みこませるためだ。
さて、買い置きのものしか使わないという趣旨のため、本日のワインは、ちょっといいやつである。
『CHATEAU FONRÉAUD 1999』
ワインを飲みたくなったのだけれど、普段飲みのワインは大体その日に買ってくるものだからだ。
一応、1時間くらい前から抜栓しておいた。
娼婦風スパゲティー。
家にあるものだけで適当に作って、こんなにうまい、というのがたまらない。
ワインは飲むのだけれど、1杯目はビール*14である。
キリン『HEARTLAND』。
ハートランドはさわやかでおいしい。
『CHATEAU FONRÉAUD 1999』
ワインを飲みたくなったのだけれど、普段飲みのワインは大体その日に買ってくるものだからだ。
一応、1時間くらい前から抜栓しておいた。
娼婦風スパゲティー。
家にあるものだけで適当に作って、こんなにうまい、というのがたまらない。
ワインは飲むのだけれど、1杯目はビール*14である。
キリン『HEARTLAND』。
ハートランドはさわやかでおいしい。
*14 夏になるとハートランドを飲みたくなるが、普段よく飲むビールは、ヱビスかサッポロ黒ラベルである。サントリーのプレミアムモルツも好きだ。ハートランド以外のキリン、アサヒのビールは余程のことがなければ飲まない。こればかりは好みなので、議論をしたら紛糾すると思うが、黒ラベル、ヱビス、モルツは旨みのあるビールだと思うのだ。
ワイン。
自分ひとりなのに、けっこうな贅沢ワインである。
家にあるものだけで簡単に、いくはずだったのだが。
実際、やったことは簡単だ。ケイパーについてもあとでおなかを壊すようなことはなかった。
しかしながら、ケイパーについての逡巡もあり、思いがけずいいワインを開けることになったりもしたので、なにやらいつもよりも長い時間料理をしていたように感じた。
さて、今回執拗なくらい脚注がついていることにお気づきの方もいるかも知れない。それは、先日ニコルソン・ベイカーの『中二階』を読んだからである。
この異常な小説は、例えばストローやらミシン目やら牛乳パックやらの日用品について深く掘り下げて考察しているだけ、というものである。ストーリーとしてはひとりの男がオフィス・ビルの1階から自分のオフィスのある中二階まで、エスカレーターで登るだけである。しかしそのわずかの間に、上記のストローやらについて、ひたすら考え、脱線し、あるものについては讃美し、あるものについては憂えている。
訳者あとがきにはこうある。
―一つのことを語る過程で思考は枝分かれし、増殖し、脱線に脱線を重ね、ついには膨大な量の注となって本文をおびやかす。語り手がエスカレーターに戻ろうとする意思を、脱線の力が何倍もの強さで押し戻し、けっきょく中二階にたどり着くまでにまるまる一冊分のページが費やされることになる。
そう。この小説には厖大な量の脚注が存在するのだ。そして、それがすごく面白い!さらに、この小説の脚注には、脚注そのものを讃えている部分がある。
―ボズウェルも、レッキーも(話を元に戻すと)、その前にはギボンも、脚注が無類に好きだった。彼らは知っていたのだ。真実の表面は、決してきれいに整ったパラグラフからパラグラフに継ぎ目なくなくつながった、滑らかな手触りのものではなく、引用文や引用符やイタリック体や外国語や、そしてさまざまな学者や編集者たちによる”同上” ”参照” ”見よ”などの皮膜に厚く覆われた、木の皮のようにごつごつした感触をしていることを。そしてそれらが頭の中に間断なく割り込んできては、本論の澱みない流れを妨げることを。(中略)彼らはまた、この脚注を読もうか読むまいか、もし読むのなら出てきたところで読もうか、それとも本文の前にオードブルとして読もうか、と迷う楽しみも知っていた。
『中二階』 ニコルソン・ベイカー著、岸本佐知子訳
(白水社, 1994)
(白水社, 1994)
とにかく面白いこの小説。すっかり感化された僕は、今回執拗な脚注をつけてみたのである。
おそらくブリを買うつもりじゃなかった史上最長の記事である。
長文を最後までお読みくださった方、ありがとうございました。
おそらくブリを買うつもりじゃなかった史上最長の記事である。
長文を最後までお読みくださった方、ありがとうございました。
朝、早起きをして、そうじをしていた。
午前中に全部終わらせるのだ。そんなふうに思ってがんばっていたのだ。しかし、せっかく興が乗っているからと、玄関に手を出したのがいけなかった。タタキをタワシで水洗いして、流し終わったときにはもう午後に入ってから1時間以上が過ぎていた。
暑い日が何日か続いて、ひと段落の涼しい日だから、そうじをするにはうってつけの日だった。なかなか有意義な日曜日の午前中だ。
さて、かなりの活動量をこなしたから、お昼もしっかり食べるかというと、意外とさっぱりいきたい気分だったのである。
たとえば、そう。そうめんとか。
そうめんはあんまり好きじゃない。そんなふうに思っていたけれど、いつの間にか、つるつるとしたそうめんが時に恋しくなるようになった。この変化は、オトナになったとか、そういうのともちょっと違う。食わず嫌いとも違う。
そうめんて、おいしいんだね。ここのところはそう思えるようになったのだ。
玄関から靴をどかし、洗剤を吹き付けてごしごしとこすっているときに、ああ、ごまだれでも作るかな、という思いが頭をよぎった。時間はたっぷりある日曜のお昼だから、ごりごりと擂り鉢にあたるのも悪くない。そんなことを考えていたら、玄関を洗うタワシの動きが、恰も擂り粉木をあてるように同心円を描いていた。
たっぷりの白ごまは、まずフライパンで軽く煎る。
煎りごまを買ってきているから、こんなことをする必要はないという向きもあるかもしれない。しかしながら、軽くでも煎ってから使うと、じっさいのところ香りが全く違うのである。
煎ったごまは擂り鉢へ。
ごりごりと根気よくあたる。
全体がねっとりしてきたら、少量の水を加え、練るようにしながらさらに根気よくあたる。
こんなかんじだ。
ペースト状になるまでしっかりとあたる。
あとはめんつゆを入れてのばして、ごまだれは完成である。
薬味は大葉を細切りにしたものを用意する。
そうめんを茹でる。
茹でた後、しっかりもみ洗いをして、ぬめりを取る。
ごまだれそうめん。
普段はこんなことはしないのだけれど、なんとなく気分で、盛り付けたそうめんに氷を散らしてみた。
ごまの風味がよくて、ふつうのそうめんよりも、少しだけ食べ応えのあるそうめんである。
玄関のそうじは大変だったけど、きれいになるのは素晴らしいことだ。食べ終わって片付けたあと、午前中の疲れが出てくる。
涼しい風が窓から入ってくる。
ちょっと横になって、そしたらうとうとと眠ってしまう。
午前中に全部終わらせるのだ。そんなふうに思ってがんばっていたのだ。しかし、せっかく興が乗っているからと、玄関に手を出したのがいけなかった。タタキをタワシで水洗いして、流し終わったときにはもう午後に入ってから1時間以上が過ぎていた。
暑い日が何日か続いて、ひと段落の涼しい日だから、そうじをするにはうってつけの日だった。なかなか有意義な日曜日の午前中だ。
さて、かなりの活動量をこなしたから、お昼もしっかり食べるかというと、意外とさっぱりいきたい気分だったのである。
たとえば、そう。そうめんとか。
そうめんはあんまり好きじゃない。そんなふうに思っていたけれど、いつの間にか、つるつるとしたそうめんが時に恋しくなるようになった。この変化は、オトナになったとか、そういうのともちょっと違う。食わず嫌いとも違う。
そうめんて、おいしいんだね。ここのところはそう思えるようになったのだ。
玄関から靴をどかし、洗剤を吹き付けてごしごしとこすっているときに、ああ、ごまだれでも作るかな、という思いが頭をよぎった。時間はたっぷりある日曜のお昼だから、ごりごりと擂り鉢にあたるのも悪くない。そんなことを考えていたら、玄関を洗うタワシの動きが、恰も擂り粉木をあてるように同心円を描いていた。
たっぷりの白ごまは、まずフライパンで軽く煎る。
煎りごまを買ってきているから、こんなことをする必要はないという向きもあるかもしれない。しかしながら、軽くでも煎ってから使うと、じっさいのところ香りが全く違うのである。
煎ったごまは擂り鉢へ。
ごりごりと根気よくあたる。
全体がねっとりしてきたら、少量の水を加え、練るようにしながらさらに根気よくあたる。
こんなかんじだ。
ペースト状になるまでしっかりとあたる。
あとはめんつゆを入れてのばして、ごまだれは完成である。
薬味は大葉を細切りにしたものを用意する。
そうめんを茹でる。
茹でた後、しっかりもみ洗いをして、ぬめりを取る。
ごまだれそうめん。
普段はこんなことはしないのだけれど、なんとなく気分で、盛り付けたそうめんに氷を散らしてみた。
ごまの風味がよくて、ふつうのそうめんよりも、少しだけ食べ応えのあるそうめんである。
玄関のそうじは大変だったけど、きれいになるのは素晴らしいことだ。食べ終わって片付けたあと、午前中の疲れが出てくる。
涼しい風が窓から入ってくる。
ちょっと横になって、そしたらうとうとと眠ってしまう。
言いたかないけど、暑いね。
そんなことをぶつぶつ言い始めたら、夏である。
梅雨の晴れ間だ。痛いような日差しが、まだ新鮮に感じられる。体がまだ夏に適応しきれていないのだ。最高気温32度なんて、おそらく9月の自分に言わせたら、まだまだほんの序の口だろう。
とはいえ、およそ9ヶ月ぶりに味わう32度は、なかなか堪えるものがある。
ずっとビールのことを考えていた。
ハートランド買って帰ろう。先送りになっていたフィッシュ&チップスを今日こそ作ろう。窓は開けっ放しだ。扇風機を回すのだ。がたがたとうるさい旧式の扇風機の音を聞きながら、キンキンに冷えたビールを飲むのだ、でも、まずはシャワーを浴びてからにしよう。ビールを飲んだら、もう1回お風呂に入るのもいいかもしれない。
そんなふうにして頭の中で夜が形作られていった。
先日、フィッシュ&チップスを作ろうと思って材料を買ってきてあったのに、眠気に負けてからそのままになっていたのである。
フィッシュ&チップスにするには、まずやっておくべきことがある。
タルタルソース作りである。
タルタルソースは、ソースっぽくてはいけない。固形分が多く、スプーンですくって食べられるくらいの固さを目指す。
みじん切りのゆでたまご、みじん切りのたまねぎ、みじん切りのパセリ、塩、胡椒、パルメザンチーズ、そしてマヨネーズ。
茹でたてのたまごを使って、混ぜたあとまだ温かいくらいのタルタルソースをつまみ食いするのが、至福である。
今回のフィッシュはメカジキ。
西友の売れ残り。3切れ398円である。
でも割引シールは貼ってなかった。
衣はこんな感じだ。
小麦粉に胡椒を加え、ビール*で溶く。
まずはチップスから揚げていく。
ポテトは冷凍。生から揚げたのでは手間もかかるし、じっさいのところ冷凍のフライドポテトのほうがカラッと揚がるのである。お赦しを願いたい。
続いてメカジキに衣をつけて揚げる。
以上、完成である。
さあ、ビールだ。
ハートランド!
このさわやかなビールが、夏を迎えた気分を盛りたてる。
そしてフィッシュ&チップス。
イギリスの台所事情のことはよく知らないけれど(というか日本以外は知らないのだけれど)一般家庭でもこんなふうにフィッシュ&チップスを出すものなのだろうか。
フィッシュ&チップスには、絶対に欠かせないもの、というのがある。
モルトビネガー。
年に数回のフィッシュ&チップスのために、この安い酢を常備しておくのだ。
モルトビネガーの酸味はやわらかいので、じゃぶじゃぶとかける。
タルタルソースは、チーズを入れすぎたかな、と思っていた。
ところが、それが却ってよかったみたいだ。
すごく、すごくおいしいタルタルソースになった。
さて、ここまでは昼間、頭の中で形成された夜にほぼ沿っている。しかし、わからないものだ。このビールとフィッシュ&チップスが意外な行動を僕にとらせることになった。
それは、ビーチ・ボーイズである。夏っぽく。
しかも、アナログで聴くのだ。このとき、僕はこの思いつきに上気した。
古いアナログ版を探し出して、埃を払う。
何年ぶりか。アナログ・レコードをかけるのは。丁寧にクリーナーをかけたつもりだったけれど、かけているうちに音がくぐもって歪んでくる。針の先に埃がたまったのだ。
針の先の埃を取り除くのもまた面倒を見ているようで気分がよい。
湿度が苦手だから、カーっと晴れたこの日はいつもよりテンションが上がっていたのだと思う。まして梅雨の晴れ間というものは、なにかご褒美のようでうれしいではないか。
ちょっと飲みすぎたのである。
そんなことをぶつぶつ言い始めたら、夏である。
梅雨の晴れ間だ。痛いような日差しが、まだ新鮮に感じられる。体がまだ夏に適応しきれていないのだ。最高気温32度なんて、おそらく9月の自分に言わせたら、まだまだほんの序の口だろう。
とはいえ、およそ9ヶ月ぶりに味わう32度は、なかなか堪えるものがある。
ずっとビールのことを考えていた。
ハートランド買って帰ろう。先送りになっていたフィッシュ&チップスを今日こそ作ろう。窓は開けっ放しだ。扇風機を回すのだ。がたがたとうるさい旧式の扇風機の音を聞きながら、キンキンに冷えたビールを飲むのだ、でも、まずはシャワーを浴びてからにしよう。ビールを飲んだら、もう1回お風呂に入るのもいいかもしれない。
そんなふうにして頭の中で夜が形作られていった。
先日、フィッシュ&チップスを作ろうと思って材料を買ってきてあったのに、眠気に負けてからそのままになっていたのである。
フィッシュ&チップスにするには、まずやっておくべきことがある。
タルタルソース作りである。
タルタルソースは、ソースっぽくてはいけない。固形分が多く、スプーンですくって食べられるくらいの固さを目指す。
みじん切りのゆでたまご、みじん切りのたまねぎ、みじん切りのパセリ、塩、胡椒、パルメザンチーズ、そしてマヨネーズ。
茹でたてのたまごを使って、混ぜたあとまだ温かいくらいのタルタルソースをつまみ食いするのが、至福である。
今回のフィッシュはメカジキ。
西友の売れ残り。3切れ398円である。
でも割引シールは貼ってなかった。
衣はこんな感じだ。
小麦粉に胡椒を加え、ビール*で溶く。
*実はビールではなく、『麦とホップ』を使用した
まずはチップスから揚げていく。
ポテトは冷凍。生から揚げたのでは手間もかかるし、じっさいのところ冷凍のフライドポテトのほうがカラッと揚がるのである。お赦しを願いたい。
続いてメカジキに衣をつけて揚げる。
以上、完成である。
さあ、ビールだ。
ハートランド!
このさわやかなビールが、夏を迎えた気分を盛りたてる。
そしてフィッシュ&チップス。
イギリスの台所事情のことはよく知らないけれど(というか日本以外は知らないのだけれど)一般家庭でもこんなふうにフィッシュ&チップスを出すものなのだろうか。
フィッシュ&チップスには、絶対に欠かせないもの、というのがある。
モルトビネガー。
年に数回のフィッシュ&チップスのために、この安い酢を常備しておくのだ。
モルトビネガーの酸味はやわらかいので、じゃぶじゃぶとかける。
タルタルソースは、チーズを入れすぎたかな、と思っていた。
ところが、それが却ってよかったみたいだ。
すごく、すごくおいしいタルタルソースになった。
さて、ここまでは昼間、頭の中で形成された夜にほぼ沿っている。しかし、わからないものだ。このビールとフィッシュ&チップスが意外な行動を僕にとらせることになった。
それは、ビーチ・ボーイズである。夏っぽく。
しかも、アナログで聴くのだ。このとき、僕はこの思いつきに上気した。
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ちょっと飲みすぎたのである。
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