トマトを買いに出かけて、なんとなく立ち寄った魚屋さんで、あんまりいいブリがあったので買う。照り焼きもいいけれど、こっくりと煮物もいいなあと思って大根を買って帰る。
帰ってきて思う。僕はブリを買うつもりじゃなかったんだ。
先日、お客をしたときに余った食材がある。
それはだし巻きたまごに添えた大根おろしに使った大根であり、鶏つくねの中に刻んで入れた蓮根であり、鶏つくねと一緒に炊き込んだ牛蒡であり、また別の機会に鍋をした際の白菜であり葱であった。
他の家のことは知らないが、僕の家にはだいたいいつもじゃがいもとたまねぎは数個ずつごろごろしている。いつでも使えるように常備してあるのだ。
さて、以上の食材をどうしようかとなんとなく考えていた。
豚肉とにんじんを買ってきて、豚汁にしたらどうだろうと思ったのだ。
この思いつきは素晴らしかった。所在無くふわふわと浮かんでいる牛蒡や大根や葱がピタリと一本の線に繫がった感じがあったし、まるでパズルを解いたときのような快感が湧き出て僕を上気させた。そして寒くなってきた陽気とも相まってその味わいもまた格別であった。
そんなことがあったからかもしれない。翌日洗濯物を干して小春日和の日なたにいるときにふと、ああなんと幸せなことかと感じたのだ。別に贅沢をしているわけではない。でも、こうして日々食事をおいしく摂り、気持ちのいい日なたに洗濯物を干している、この日常の瑣末事がなんと嬉しいことか、などと思った。
そこで、こういうことをブログに書こうと思って、机に一枚のメモを残しておいた。
『日常の瑣事は決して矮小なものではなく、』
と書いてある。
いや、まったく。ごもっともである。
なにも贅沢や特別なことをするわけではない。でも日々を愉しく過ごしていくことはできる、それどころかややもすると退屈なものとして卑下してしまいがちな日常の瑣末事の中にこそ幸せが潜んでいるのだ、みたいなことを言いたかったのであった。
しかし。ああ、人間というものは勝手なものだ。
こういう思いを抱きながら買い物に出たのに、贅沢なものに目が奪われてしまった。
くわい。
しかも『新物』のシールが貼ってある。
海老芋。
これにも新物シール。
このふたつを見かけて、今度は贅沢なほうのスイッチに僕は繫がってしまった。
くわい。
この名前を聞くと、どうしても思い出すのは水上勉の『焼いたくわい』である。
何度も手にとって読み返す、『土を喰ふ日々』。くわいを見たらこれをやらないわけにはいかないのである。
さらに海老芋も同様に焼いて、塩をつけて食べようと思ったのだ。
笊に乗った風景がまた、いい感じである。
残念ながら七輪を持っていないので、一度蒸してから網で焼くことにした。
よく洗って、蒸し器へ。
皮が黒色化するまで焼く。
焼いたくわいと海老芋。
これを手で剥きながら、塩をつけていただく。
さてこういう場合、おしぼりは欠かせない。
焼いたくわいは、独特の苦味を残しつつ、栗のように甘い。そして芋のようにほくほくである。そして香ばしい。
枝豆のときにも思ったのだが、野菜は焼くと甘みが強くなるのだ。
『土を喰ふ日々』からさらに引用する。
もう、この日はくわいと海老芋で贅沢スイッチが入っているので、なにやらいろいろ買い込んでしまったのである。
刺身。
左から、中トロ、かんぱち、イカ、奥があいなめである。
あいなめがおいしかった。
冷やっこ。
なんかもう、飲む気まんまんですな。
これは前にも紹介したことがある、ちくわとちくわぶの煮物。今回は厚揚げも一緒に煮てある。前日の残りものなので、しっかり染みている。
まずはヱビス。
そしてお酒へ。
これ。
神亀の純米酒『上槽中汲』という。
神亀酒造の説明にはこうある。
実は最近の大のお気に入りである。濾過も火入れも一切していない、それどころか圧力もかけていない。酵母が生きているから、店頭でも冷蔵状態で売られている。もちろん家でも買ってきたらすぐに冷蔵庫で保管している。
さわやかな香り、複雑な旨み。厭味のない素晴らしいお酒だと思う。
うっすらと濁りがあるのもまたよくて、ぐい呑みに入れたときに底がほんのり霞んで見えるのが実にいい景色なのである。
ただ、生原酒なので18度くらいある。注意が必要である。
ああ、結局こうしてまた贅沢な夜を過ごしてしまった。
でもやっぱりいいよね、とか思う。
つい数時間前まで、『日常の瑣事は決して矮小なものではなく、』の気持ちでいた自分に、おいおい随分奢ってるじゃねえかとどこかから声が聞こえてくるような気がして、気恥ずかしさと外の寒さにちょっと首をすくめてみる。
そろそろ冬も本番である。
それはだし巻きたまごに添えた大根おろしに使った大根であり、鶏つくねの中に刻んで入れた蓮根であり、鶏つくねと一緒に炊き込んだ牛蒡であり、また別の機会に鍋をした際の白菜であり葱であった。
他の家のことは知らないが、僕の家にはだいたいいつもじゃがいもとたまねぎは数個ずつごろごろしている。いつでも使えるように常備してあるのだ。
さて、以上の食材をどうしようかとなんとなく考えていた。
豚肉とにんじんを買ってきて、豚汁にしたらどうだろうと思ったのだ。
この思いつきは素晴らしかった。所在無くふわふわと浮かんでいる牛蒡や大根や葱がピタリと一本の線に繫がった感じがあったし、まるでパズルを解いたときのような快感が湧き出て僕を上気させた。そして寒くなってきた陽気とも相まってその味わいもまた格別であった。
そんなことがあったからかもしれない。翌日洗濯物を干して小春日和の日なたにいるときにふと、ああなんと幸せなことかと感じたのだ。別に贅沢をしているわけではない。でも、こうして日々食事をおいしく摂り、気持ちのいい日なたに洗濯物を干している、この日常の瑣末事がなんと嬉しいことか、などと思った。
そこで、こういうことをブログに書こうと思って、机に一枚のメモを残しておいた。
『日常の瑣事は決して矮小なものではなく、』
と書いてある。
いや、まったく。ごもっともである。
なにも贅沢や特別なことをするわけではない。でも日々を愉しく過ごしていくことはできる、それどころかややもすると退屈なものとして卑下してしまいがちな日常の瑣末事の中にこそ幸せが潜んでいるのだ、みたいなことを言いたかったのであった。
しかし。ああ、人間というものは勝手なものだ。
こういう思いを抱きながら買い物に出たのに、贅沢なものに目が奪われてしまった。
くわい。
しかも『新物』のシールが貼ってある。
海老芋。
これにも新物シール。
このふたつを見かけて、今度は贅沢なほうのスイッチに僕は繫がってしまった。
くわい。
この名前を聞くと、どうしても思い出すのは水上勉の『焼いたくわい』である。
『くわいを焼くのは、この頃からぼくのレパートリーだった。のちに、還俗して、八百屋の店頭に、くわいが山もりされ、都会人には敬遠されるとみえ、ひからびているのを見ると涙が出たが、一般には煮ころがしか、あるいは炊きあわせにしかされないこれを、ぼくは、よく洗って、七輪にもち焼き網をおいて焼いたのだった。まるごと焼くのだ。ついさっきまで土の中にいたから、ぷーんとくわい独特のにがみのある匂いが、ぷしゅっと筋が入った亀裂から、湯気とともにただようまで、気ながに焼くのだ。この場合、あんまり、ころころところがしたりしてはならない。焼くのだから、じっくりと焼かねばならぬ。あぶるのではない。もちろん、皮なんぞはむいてない。したがって焼けたところは狐いろにこげてきて、しだいに黒色化してくる。この頃あいを見て、ころがす。すると、焼けた皮がこんがりと、ある部分は青みがかった黄ろい肉肌を出し、栗のように見える。ぼくは、この焼きあがったくわいを大きな場合は、包丁で二つに切って皿にのせて出した。小さな場合はまるごと二つ。わきに塩を手もりしておく。』
『土を喰ふ日々』/水上勉
(1978, 文化出版局)
(1978, 文化出版局)
何度も手にとって読み返す、『土を喰ふ日々』。くわいを見たらこれをやらないわけにはいかないのである。
さらに海老芋も同様に焼いて、塩をつけて食べようと思ったのだ。
笊に乗った風景がまた、いい感じである。
残念ながら七輪を持っていないので、一度蒸してから網で焼くことにした。
よく洗って、蒸し器へ。
皮が黒色化するまで焼く。
焼いたくわいと海老芋。
これを手で剥きながら、塩をつけていただく。
さてこういう場合、おしぼりは欠かせない。
焼いたくわいは、独特の苦味を残しつつ、栗のように甘い。そして芋のようにほくほくである。そして香ばしい。
枝豆のときにも思ったのだが、野菜は焼くと甘みが強くなるのだ。
『土を喰ふ日々』からさらに引用する。
『ここで気づくのだが、いまのテレビ番組の料理など、めったに見ないものの、時に目に入って驚くことだが、くわいなども包丁でむかれる。しかも、そのむき方は、子供の綿入れ羽織、着ものまるごとはぎとるみたいで、身はほんの小さなものになる。これが上品らしい。もちろん、炊きあわせ用なのだろうが、見た目は芋だか何だかわかりゃしない。しかも、くわいでもっとも、にがみもあって、甘味のある皮にちかいあたりが捨てられるとあっては、もったいないのだ。また、くわいの皮ほどうすいものはないのである。』
もう、この日はくわいと海老芋で贅沢スイッチが入っているので、なにやらいろいろ買い込んでしまったのである。
刺身。
左から、中トロ、かんぱち、イカ、奥があいなめである。
あいなめがおいしかった。
冷やっこ。
なんかもう、飲む気まんまんですな。
これは前にも紹介したことがある、ちくわとちくわぶの煮物。今回は厚揚げも一緒に煮てある。前日の残りものなので、しっかり染みている。
まずはヱビス。
そしてお酒へ。
これ。
神亀の純米酒『上槽中汲』という。
神亀酒造の説明にはこうある。
『酒槽より圧力を全く掛けずに、自然に流れ出る清酒の、中汲み部分だけ
を丁寧に、即座に瓶詰めした生酒です。濾過、火入れをしていない搾った
状態その物の清酒です、 薄く「おり」を含み酵母も生きています。』
実は最近の大のお気に入りである。濾過も火入れも一切していない、それどころか圧力もかけていない。酵母が生きているから、店頭でも冷蔵状態で売られている。もちろん家でも買ってきたらすぐに冷蔵庫で保管している。
さわやかな香り、複雑な旨み。厭味のない素晴らしいお酒だと思う。
うっすらと濁りがあるのもまたよくて、ぐい呑みに入れたときに底がほんのり霞んで見えるのが実にいい景色なのである。
ただ、生原酒なので18度くらいある。注意が必要である。
ああ、結局こうしてまた贅沢な夜を過ごしてしまった。
でもやっぱりいいよね、とか思う。
つい数時間前まで、『日常の瑣事は決して矮小なものではなく、』の気持ちでいた自分に、おいおい随分奢ってるじゃねえかとどこかから声が聞こえてくるような気がして、気恥ずかしさと外の寒さにちょっと首をすくめてみる。
そろそろ冬も本番である。
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雨降ってきたから
カッパをかっぱらいました
しょうがないよね
しょうがなくねえよ!
『さまぁ~ずの悲しいダジャレ』(2003, 宝島社)
何年か前、アンチョビ・ポテトを作ったときにバターを入れたら、批判を浴びたことがあった。もちろん親しい人間からである。
カロリー無視でオイルやバターをふんだんに使えば、大体のものはおいしくできるのではないか、と。
ぐうの音も出ない。ご説、至極ごもっともである。
でもしょうがないよね。おいしいんだもん。
タイムの香りが利いたアンチョビ・ポテトだ。仕上げのバターは、なくてもおいしいけれども、あったらもっとおいしいのだ。
乳脂肪分のおいしさは、僕にとっては特別な何かを含んでいる。
子どものころ、チーズやバターが大好きだった。でも、そんなにたくさん与えてはもらえなかった。肥るよ、と言われた。親としては当然の見解だ。
あの頃の憧憬が、現在の乳脂肪好みに反映されているのかどうかはわからない。
ただ、フランスやアメリカの食べものを見て、あんなにいっぱいバターやクリームを使ったんじゃあぶくぶく肥ってしょうがないだろうに…とか口では言いながら、心の奥のほうで密かに羨望の眼差しを向けているのは事実である。
そして。
今日はバターだけじゃないのである。
サワークリーム。
いつだったか、トマトソースのボンゴレに余っていたサワークリームを入れたらすごくおいしくて小躍りしたことがあった。
それをもう一回やるのだ。
あさりは砂抜きしておく。
にんにくは包丁の腹で潰し、アーリオ・オーリオをつくる。
あさりを炒める。
白ワインをふる。火を強めて、水分を飛ばすようにする。
あさりの口が開いたら、一旦取り出しておく。
あさりのおつゆと白ワインを煮詰めるようにして、手で潰したホールトマトを入れる。
弱火で煮詰める。塩、胡椒で味を調える。
パスタが茹で上がったら、あさりを戻し、パスタと和える。
そしてこれだ。サワークリーム。たっぷり。しっかり和えたら、これで完成。
冒頭のアンチョビ・ポテトはこれである。タイムの香り。アンチョビの旨み。とバター。
サワークリーム入りのボンゴレ・ロッソ。
何であのとき、家にサワークリームが残っていたのか。何でボンゴレにサワークリーム入れてみようなんて思ったのか。ぜんぜん思い出せない。
でもこういう偶然生まれたメニューというのは、なんだかうれしいものである。
今日はこのためにサワークリーム買ってきたんだから。
ワインはボルドーの白である。
CHATEAU LA GARDE 2009/シャトー・ラ・ガルドの白。これ、おいしいです。すごくいいです。ちょっと前に2007を飲んでとてもよかったので、2009も購入。
今年は、ソーヴィニヨン・ブラン・ブームが(僕の中で)あったので、それにつられてボルドー・ブランのストックが増えてきた。このラ・ガルドがあと1本。そしてシャトー・タルボ・カイユ・ブラン2009(これが最高においしい!)があと2本。
とはいえ5,000円を超えるクラスの白ワイン、なかなか手を伸ばすのに勇気がいるのであるが。
日が短くなって、だいぶ肌寒くなってきた。
今、家の玄関にはコスモスである。
秋ですから。だんだんとこっくりしたものも食べたくなる。
しょうがないよね
すごい雨だった。驚いた。
拠所ない事情で僕は西東京市にいたのだ。ずぶ濡れだ。頭の真上で雷がバリバリいっている。まったくおっかないようであった。
あれくらいずぶ濡れになると却って気持ちがいいくらいなものだ。今日をもって僕は梅雨明けを宣言する。個人的な梅雨明けだ。やっぱりこう、なにかきっかけがないと。
さて、ここのところ、僕には空前のソーヴィニヨン・ブラン*1・ブームが訪れている。
ブームの発端はなんのことはない。
吉祥寺のTHE GARDENで、ワイン係の店員さんと話をしていて、「暑くなってきたからソーヴィニヨン・ブランいいですよねー」みたいな話で盛り上がったのだ。
白ワインは、コノスルのシャルドネばっかり飲んでいて、あーそうかその手があったなと、はたと膝を打ったのだった。
ソーヴィニヨン・ブランでも、ニュージーランドのものが面白い。独特の甘い香りがさらに際立っているように思う。
VILLA MARIA/Sauvignon Blanc
THE GARDENのワイン係の人が教えてくれたお薦めのワイン。桃のような香りがするんですよ、と。この一本から、僕のソーヴィニヨン・ブラン・ブームは始まった。
せっかくおいしいワインだからと思って、これまた一大ブームの真っ最中であるカジキのムニエルを作る。
このカジキのムニエルはラタトゥイユ風の野菜ソースでいただく。
手前味噌も甚だしいことを承知の上で申し上げるが、このカジキのムニエル・ラタトゥイユソースは絶品である。興味のある方は、ぜひ一度作ってみていただきたいと本気で思う。損はさせないことを請合う。
このカジキのラタトゥイユソースがあんまりおいしいので、週に2回3回と作って食べていた。そのたびにワインを1本ずつ消費していた。
このカジキのラタトゥイユソースがあんまりおいしいので、休みの日にわざわざ実家に出掛けて、これを作って家族に振舞った。もちろんおいしい白ワインも持参で。
6月の家計がいつもより苦しい気がしたのは、なんのことはない、カジキマグロとソーヴィニヨン・ブランが圧迫してくれたからなのであった。
前口上が長くなってしまった。
それでは作り方。
野菜は、たまねぎ、にんじん、セロリ、茄子、ズッキーニ、パプリカ。これを1cmのさいの目に切る。
生トマトはガスの火で炙って皮を剥き、ざく切り。
これとは別に、缶詰めのホールトマトも用意しておく。
ここが、ふつうのラタトゥイユと違うところだ。アンチョビ、ケーパー、ブラックオリーブを入れる。魚に使うソースだから、アンチョビの旨味を足してみるかなと思ったのだ。オリーブとケーパーはなんとなく。娼婦風スパゲティーみたいなイメージで。
一方、カジキマグロは両面に塩をしておく。水気が出てくるので、焼く前に拭き取る。
鍋に包丁の腹で潰したにんにくとオリーブオイルを入れて火にかける。
にんにくがきつね色になったら、アンチョビ、ケーパー、ブラックオリーブをいれ、アンチョビを潰して溶かす*2。
野菜を入れて炒める。
全体に油が回ったら生のトマトを入れる。
白ワインをふり入れる。
野菜がしんなりしたら、手で潰したホールトマト、セロリの葉っぱ、タイム、ローリエ*3を入れて煮込む。
全体の量が2/3くらいになったら、塩、胡椒で味を調えてソースは完成である。
カジキマグロは、水気を拭き取り、軽く胡椒をふって、小麦粉をまぶす。フライパンにバターとサラダ油を入れ、バターが融けたら余分な粉をはたいてから焼き始める。
両面に焼色がついたら、軽く白ワインをふって蓋をして蒸し焼きにする。
あとは、焼きあがったカジキにソースをかけて完成である。
カジキマグロのムニエル、ラタトゥイユ風野菜ソース。
つけあわせのかぶはコンソメで煮てある。
このソースの甘みは太陽の恵みであるぞ、と。夏野菜ってすげえな、と思う。
ところでパンはDONQのテロワールというバゲット。味が濃くっていいパンです。
テロワールとはワインによく使う言葉で、土壌や気候を含めた作物の生育環境のことをいう。ワインは醗酵過程が単純(日本酒などと較べて)なので、ぶどうの出来がワインの味を大きく左右する。だからこそいいぶどうを育てる畑に格付けがなされ、テロワールなる概念も生まれるのであろう。
香りのよいソーヴィニヨン・ブラン、麦の味がするパン、甘い夏野菜。
うまいうまいと喜んで食べられるのは、食材の力があってこそなのだと、先程の威勢のいい自画自賛をすっかり棚に上げて、謙虚な気持ちで噛みしめる。
とはいうもののこのカジキのラタトゥイユソースが、2014年の夏を代表する傑作であることは間違いない。
家計を圧迫するくらいの。
拠所ない事情で僕は西東京市にいたのだ。ずぶ濡れだ。頭の真上で雷がバリバリいっている。まったくおっかないようであった。
あれくらいずぶ濡れになると却って気持ちがいいくらいなものだ。今日をもって僕は梅雨明けを宣言する。個人的な梅雨明けだ。やっぱりこう、なにかきっかけがないと。
さて、ここのところ、僕には空前のソーヴィニヨン・ブラン*1・ブームが訪れている。
*1 ソーヴィニヨン・ブラン ―― 白ワインを作るぶどうの品種。ボルドーやロワール地方の白ワインに多く使われる。柑橘系やトロピカルフルーツの香り、若いものだと青草の香りがするワインになる。
ブームの発端はなんのことはない。
吉祥寺のTHE GARDENで、ワイン係の店員さんと話をしていて、「暑くなってきたからソーヴィニヨン・ブランいいですよねー」みたいな話で盛り上がったのだ。
白ワインは、コノスルのシャルドネばっかり飲んでいて、あーそうかその手があったなと、はたと膝を打ったのだった。
ソーヴィニヨン・ブランでも、ニュージーランドのものが面白い。独特の甘い香りがさらに際立っているように思う。
VILLA MARIA/Sauvignon Blanc
THE GARDENのワイン係の人が教えてくれたお薦めのワイン。桃のような香りがするんですよ、と。この一本から、僕のソーヴィニヨン・ブラン・ブームは始まった。
せっかくおいしいワインだからと思って、これまた一大ブームの真っ最中であるカジキのムニエルを作る。
このカジキのムニエルはラタトゥイユ風の野菜ソースでいただく。
手前味噌も甚だしいことを承知の上で申し上げるが、このカジキのムニエル・ラタトゥイユソースは絶品である。興味のある方は、ぜひ一度作ってみていただきたいと本気で思う。損はさせないことを請合う。
このカジキのラタトゥイユソースがあんまりおいしいので、週に2回3回と作って食べていた。そのたびにワインを1本ずつ消費していた。
このカジキのラタトゥイユソースがあんまりおいしいので、休みの日にわざわざ実家に出掛けて、これを作って家族に振舞った。もちろんおいしい白ワインも持参で。
6月の家計がいつもより苦しい気がしたのは、なんのことはない、カジキマグロとソーヴィニヨン・ブランが圧迫してくれたからなのであった。
前口上が長くなってしまった。
それでは作り方。
野菜は、たまねぎ、にんじん、セロリ、茄子、ズッキーニ、パプリカ。これを1cmのさいの目に切る。
生トマトはガスの火で炙って皮を剥き、ざく切り。
これとは別に、缶詰めのホールトマトも用意しておく。
ここが、ふつうのラタトゥイユと違うところだ。アンチョビ、ケーパー、ブラックオリーブを入れる。魚に使うソースだから、アンチョビの旨味を足してみるかなと思ったのだ。オリーブとケーパーはなんとなく。娼婦風スパゲティーみたいなイメージで。
一方、カジキマグロは両面に塩をしておく。水気が出てくるので、焼く前に拭き取る。
鍋に包丁の腹で潰したにんにくとオリーブオイルを入れて火にかける。
にんにくがきつね色になったら、アンチョビ、ケーパー、ブラックオリーブをいれ、アンチョビを潰して溶かす*2。
*2 油がはねるので、火を止めてはじけるのが落ち着いてからやったほうがいいかもしれない。
野菜を入れて炒める。
全体に油が回ったら生のトマトを入れる。
白ワインをふり入れる。
野菜がしんなりしたら、手で潰したホールトマト、セロリの葉っぱ、タイム、ローリエ*3を入れて煮込む。
*3 ハーブ類は、あれば。
全体の量が2/3くらいになったら、塩、胡椒で味を調えてソースは完成である。
カジキマグロは、水気を拭き取り、軽く胡椒をふって、小麦粉をまぶす。フライパンにバターとサラダ油を入れ、バターが融けたら余分な粉をはたいてから焼き始める。
両面に焼色がついたら、軽く白ワインをふって蓋をして蒸し焼きにする。
あとは、焼きあがったカジキにソースをかけて完成である。
カジキマグロのムニエル、ラタトゥイユ風野菜ソース。
つけあわせのかぶはコンソメで煮てある。
このソースの甘みは太陽の恵みであるぞ、と。夏野菜ってすげえな、と思う。
ところでパンはDONQのテロワールというバゲット。味が濃くっていいパンです。
テロワールとはワインによく使う言葉で、土壌や気候を含めた作物の生育環境のことをいう。ワインは醗酵過程が単純(日本酒などと較べて)なので、ぶどうの出来がワインの味を大きく左右する。だからこそいいぶどうを育てる畑に格付けがなされ、テロワールなる概念も生まれるのであろう。
香りのよいソーヴィニヨン・ブラン、麦の味がするパン、甘い夏野菜。
うまいうまいと喜んで食べられるのは、食材の力があってこそなのだと、先程の威勢のいい自画自賛をすっかり棚に上げて、謙虚な気持ちで噛みしめる。
とはいうもののこのカジキのラタトゥイユソースが、2014年の夏を代表する傑作であることは間違いない。
家計を圧迫するくらいの。
ー 「もしも、スタンド能力*を身につけることができたなら、どのスタンドが欲しいか?」
そんな質問を受けたことがある。
僕は即座に答えた。
ー 「仗助の『なおす』だね。」
そう。『なおす』ことができたなら、どんなにいいだろう。そんなふうに思うことがある。
すごく気に入っている器を毀してしまったとき。
この浅鉢は、僕の食卓に幾度となく登場したお気に入りだった。おでんの時だって、煮物の時だって、自然に手に取る器はこの青白磁だった。
夏の気配を感じ始めた頃だ。
今年初めてのゴーヤチャンプルーを作った夜だった。
削り節をたっぷりかけたチャンプルーを取り皿に移そうと思って持ち上げた瞬間だった。
おそらく既にヒビが入っていたのだろう。僕の親指は、もろくなっていた浅鉢の縁をこうして欠いてしまった。
仗助ならすぐさま「なおす!」って叫んだだろう。
僕は言葉を失うことしかできなかった。
先日、エノテカでワインを物色していたら、ちょっと気になるものがあった。
『シャトー・クラリス』(2010年)
ボルドーの2010年は、大変な当たり年だそうである。
しかし。当たり年ならなおさら、2010年を今飲むのは早いんじゃあないか。そんなふうに思って聞いてみると、やれやれしょうがないわねえみたいな笑みを浮かべてエノテカのお姉さんはこう言った。
「社内試飲で飲みましたが、今が飲み頃です。とてもエレガントですよ。」
しかも、だ。
これが最後の1本だ、と。吉祥寺店だけではなく、全社を通じてこれが最後の1本であり、加えてクラリスはスポット的に入ってきたものなので、今後同じものが入荷する予定はない、と。
僕は即座に答えた。
― 「買います。」
帰り道、何を作ろうかと思案していた。
ボルドーのちょっといいワイン(3,000円くらいだけど)だ。肉、焼くか? 煮込みにでもするか?
そのとき、僕の脳裡に浮かんだのは、こんな画像だった。
コンビーフ。
このリビーのコンビーフは家のストックにずうっと入っていて、使われないまま長い長い年月が過ぎてしまったのだ。
お分かりいただけるように、開缶済みである。
『BEST BEFORE END: 2014. 02』
過ぎてる。
そう。こいつはいけねえと思って、3日ほど前に半分使って*とってあったのだ。
コンビーフ使ってラグー、とかどうだろう。
冒険だった。でもコンビーフってくらいだから牛肉である。やってみることにしたのである。
鍋に潰したにんにくとオリーブオイル。
粗みじん切りにした、たまねぎ、にんじん、セロリを炒める。これをソフリットという。
一方、コンビーフはフライパンで焼き目をつける。
ソフリットの鍋に、焼いたコンビーフ、セロリの葉、ローリエ、タイムを入れて赤ワインを注ぐ。
これをしばらく煮込む。
これくらいまで煮詰める。
手で潰したホールトマトの水煮を加え、塩、胡椒で味を調える。さらに煮込む。
仕上げにバター。
これでラグーは完成である。
さて、この日はもう2品。
ぐつぐつと茹でられているのは蚕豆である。
おなじみのサラダを作るのだ。
蚕豆は皮を剥いて、塩、胡椒、オリーブオイルと和えて、最後にパルミジャーノのすりおろしをかけて食べる。
もう1品は、冷蔵庫にある茄子とズッキーニを網で焼いて、タイムを添えて、これも塩、胡椒とオリーブオイルでいただく。
ラグーはフライパンに移し、茹で上がったスパゲティーを入れ、パルミジャーノのすりおろしをかけてよく和える。
焼き野菜。
タイムもちょっと網で焙った。夏っぽい雰囲気だ。
蚕豆のサラダ。
そしてコンビーフのラグー。
このラグーソースはなかなかの出来である。使い方に困った付け焼刃的メニューとしては上々であろう。
シャトー・クラリスは、1時間くらい前に抜栓しておいた。
しかしながら、うーんやっぱりちょっと硬い感じするなあ、と思いながら飲んでいた。
ところが、である。
飲み始めて40分くらいした頃だと思う。スパゲティーも食べ終わってしまって、バゲット持ってきて食べ始めたくらいで、やっと開いた。
あー。おいしいワインだ。デキャンタに移したらよかったかな。
さて、ここで。おや、と思われた方もいるかもしれない。
冒頭でさんざん嘆いていた青白磁があるじゃないか、と。
僕はスタンド使いじゃないから、アロンアルファを使ったのだ。ちょっと見には分からないくらいに修復することができた。
「なおすッ!」
とか叫びながら、手にアロンアルファがついて大変だったけどちゃんとなおった。
お皿はアロンアルファで直すことができたけど、接着剤では元には戻せないものもある。本気でなおしたいと思うものが、いくつかあるなあなどと最後のシャトー・クラリスを飲みながら、そんなことを考えていた。
そんな質問を受けたことがある。
僕は即座に答えた。
ー 「仗助の『なおす』だね。」
*『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいない方には、まったく理解できない話題で申し訳ないが。
そう。『なおす』ことができたなら、どんなにいいだろう。そんなふうに思うことがある。
すごく気に入っている器を毀してしまったとき。
この浅鉢は、僕の食卓に幾度となく登場したお気に入りだった。おでんの時だって、煮物の時だって、自然に手に取る器はこの青白磁だった。
夏の気配を感じ始めた頃だ。
今年初めてのゴーヤチャンプルーを作った夜だった。
削り節をたっぷりかけたチャンプルーを取り皿に移そうと思って持ち上げた瞬間だった。
おそらく既にヒビが入っていたのだろう。僕の親指は、もろくなっていた浅鉢の縁をこうして欠いてしまった。
仗助ならすぐさま「なおす!」って叫んだだろう。
僕は言葉を失うことしかできなかった。
先日、エノテカでワインを物色していたら、ちょっと気になるものがあった。
『シャトー・クラリス』(2010年)
ボルドーの2010年は、大変な当たり年だそうである。
しかし。当たり年ならなおさら、2010年を今飲むのは早いんじゃあないか。そんなふうに思って聞いてみると、やれやれしょうがないわねえみたいな笑みを浮かべてエノテカのお姉さんはこう言った。
「社内試飲で飲みましたが、今が飲み頃です。とてもエレガントですよ。」
しかも、だ。
これが最後の1本だ、と。吉祥寺店だけではなく、全社を通じてこれが最後の1本であり、加えてクラリスはスポット的に入ってきたものなので、今後同じものが入荷する予定はない、と。
僕は即座に答えた。
― 「買います。」
帰り道、何を作ろうかと思案していた。
ボルドーのちょっといいワイン(3,000円くらいだけど)だ。肉、焼くか? 煮込みにでもするか?
そのとき、僕の脳裡に浮かんだのは、こんな画像だった。
コンビーフ。
このリビーのコンビーフは家のストックにずうっと入っていて、使われないまま長い長い年月が過ぎてしまったのだ。
お分かりいただけるように、開缶済みである。
『BEST BEFORE END: 2014. 02』
過ぎてる。
そう。こいつはいけねえと思って、3日ほど前に半分使って*とってあったのだ。
*このときは娼婦風スパゲティーに具材としてコンビーフを使用した。おいしかった。
コンビーフ使ってラグー、とかどうだろう。
冒険だった。でもコンビーフってくらいだから牛肉である。やってみることにしたのである。
鍋に潰したにんにくとオリーブオイル。
粗みじん切りにした、たまねぎ、にんじん、セロリを炒める。これをソフリットという。
一方、コンビーフはフライパンで焼き目をつける。
ソフリットの鍋に、焼いたコンビーフ、セロリの葉、ローリエ、タイムを入れて赤ワインを注ぐ。
これをしばらく煮込む。
これくらいまで煮詰める。
手で潰したホールトマトの水煮を加え、塩、胡椒で味を調える。さらに煮込む。
仕上げにバター。
これでラグーは完成である。
さて、この日はもう2品。
ぐつぐつと茹でられているのは蚕豆である。
おなじみのサラダを作るのだ。
蚕豆は皮を剥いて、塩、胡椒、オリーブオイルと和えて、最後にパルミジャーノのすりおろしをかけて食べる。
もう1品は、冷蔵庫にある茄子とズッキーニを網で焼いて、タイムを添えて、これも塩、胡椒とオリーブオイルでいただく。
ラグーはフライパンに移し、茹で上がったスパゲティーを入れ、パルミジャーノのすりおろしをかけてよく和える。
焼き野菜。
タイムもちょっと網で焙った。夏っぽい雰囲気だ。
蚕豆のサラダ。
そしてコンビーフのラグー。
このラグーソースはなかなかの出来である。使い方に困った付け焼刃的メニューとしては上々であろう。
シャトー・クラリスは、1時間くらい前に抜栓しておいた。
しかしながら、うーんやっぱりちょっと硬い感じするなあ、と思いながら飲んでいた。
ところが、である。
飲み始めて40分くらいした頃だと思う。スパゲティーも食べ終わってしまって、バゲット持ってきて食べ始めたくらいで、やっと開いた。
あー。おいしいワインだ。デキャンタに移したらよかったかな。
さて、ここで。おや、と思われた方もいるかもしれない。
冒頭でさんざん嘆いていた青白磁があるじゃないか、と。
僕はスタンド使いじゃないから、アロンアルファを使ったのだ。ちょっと見には分からないくらいに修復することができた。
「なおすッ!」
とか叫びながら、手にアロンアルファがついて大変だったけどちゃんとなおった。
お皿はアロンアルファで直すことができたけど、接着剤では元には戻せないものもある。本気でなおしたいと思うものが、いくつかあるなあなどと最後のシャトー・クラリスを飲みながら、そんなことを考えていた。
ちょっと雲が多いけれど、西荻窪は夕焼けである。
なんだか、一日冴えないような天気だった。
それでも汗をかいて、掃除をしたのだ。
バタバタと掃除を終わらせて、雑巾を洗濯機に放り込んで、ふう一息というところで雲が切れてきた。
ビールだ。今日こそ、ベランダで。
梅雨明けをビールで祝うことができなかった憾みを、今日こそ晴らす。
枝豆を買いに出かける前に、することがある。
蚊取り線香に火を点けておくのだ。
煙が辺りに広がる時間を持たなくてはいけないからだ。買い物に出ている間に、蚊*1を追いやっておくのだ。
蚊取り線香は、金鳥のものでなくてはならない。
これは好みだから、あくまで僕の一存である。個人的な嗜好であることをお断りした上で、こう申し上げる。
アースのも、フマキラーのもダメである。
香りが違う。蚊取り線香の香りじゃないのである。
火を点けた蚊取り線香は、マダガスカルの蚊取り線香皿に入れる。
似たようなブリキのものを持っているけれど、見かけたらどうしても欲しくなって、梅雨入り前に買ったのだ。
鉄でできた、重くて無愛想なこの蚊取り線香皿が、大好きである。
枝豆を買いに出る。
八百屋さんは開いていたけれど、枝豆は売ってなかった。そうだ。今日は祝日なのだ。一応聞いてみる。枝豆はないですか。返ってきた答えは予想通りのものであった。今日は市場が休みだからねえ。
枝豆は西友で買ってきた。
7月に入って、枝豆もだいぶ肥ってきたようである。
莢がふっくらと膨らんでいる。
出始めの頃の枝豆は、見るとうれしいけれどやっぱりまだ痩せていて、なかなか手に取らない。これくらいふっくらしているほうが、気持ちも盛り上がるというものである。
枝豆は両端を切り落とす。
塩をたっぷり一掴みほど入れて、莢どうしを擦りあわせるようにして産毛と汚れをとる。
水で洗い流す。
さて、ここからだ。
通常なら、たっぷりと湯を沸かして塩茹でにするのだが、最近のお気に入りは、焼き枝豆である。
フライパンを熱する。油はひかない。
枝豆を入れ、コップ半分くらいの水を注ぐ。
蓋をして、蒸し焼きにする。
途中、何度か蓋を取ってフライパンを煽る。
水分がなくなって、煙が出てくるようになっても、まだ火は止めない。
そのまま煽って、莢がじりじりと焦げるまで焼き続ける。
しっかりと焦げ目がつくくらいまで焼いたら、火を止めて塩を入れ、全体に馴染ませたら完成である。
ちなみにこの調理法は、鉄のフライパンでやることをお薦めする。かなり高温になるので、フッ素加工を傷めてしまう可能性があるからである。
さあ、準備は調った。
あとは枝豆とビールを持って、いそいそとベランダへ。
古新聞といっしょに枝豆を持って出る。
器は、アフガニスタンの鉢である。古いもの。
ビールはヱビス。
おしぼりは欠かせない。枝豆の焦げや塩が手につくからだ。
グラスは、タピオのタンブラーである。ちなみに家の冷凍庫には常時このグラスが冷えている。飲み終わって洗って拭いたら、食器棚ではなく冷凍庫に戻っていく。
最高の時間だった。
いつものグラスでいつものビール。でも、すごく新鮮だった。一口めのビール、ああこの味、しばらく忘れていたな、って思った。毎日飲んでいるはずなのに。
枝豆は、焼くことで驚くほど甘みが出て、ほっくりする。そして香りが立つのだ。
なんだかうれしくて、にやけながらビールを飲む。枝豆をほおばる。
ああ、こんなにおいしいなんて。
内心は、最高に『ハイ』ってやつである。人差し指を顳顬(こめかみ)に突き立てたいような気分である。でもそんなことしないで静かに飲んでいる。
アパートのどこかの部屋からは、ちょっとした諍いの声が聞こえてくる。よいよい。諍いだって人が生きてるって証拠だよ、などと勝手なことを思う。
しばらくしたら、日が落ちて月が出ていた。夏の夜の月。ぼんやりしている。
最初は、なんでもない夕方をちょっとだけ特別なものにしよう、という思いつきだったのだ。ベランダでビール。
ただ場所を変えただけなのに、こんなに素敵な時間になるとは思わなかった。この夏の間に、何度もやってしまいそうだ。
たったひとつだけ、惜しむらくは右腕の肘の上を蚊に食われたことである。
なんだか、一日冴えないような天気だった。
それでも汗をかいて、掃除をしたのだ。
バタバタと掃除を終わらせて、雑巾を洗濯機に放り込んで、ふう一息というところで雲が切れてきた。
ビールだ。今日こそ、ベランダで。
梅雨明けをビールで祝うことができなかった憾みを、今日こそ晴らす。
枝豆を買いに出かける前に、することがある。
蚊取り線香に火を点けておくのだ。
煙が辺りに広がる時間を持たなくてはいけないからだ。買い物に出ている間に、蚊*1を追いやっておくのだ。
*1 余談だが、東京生まれの僕は蚊に刺されることを『蚊に食われる』と言う。どうやらこの表現は方言のようである。『蚊に噛まれる』とは僕は言わない。
蚊取り線香は、金鳥のものでなくてはならない。
これは好みだから、あくまで僕の一存である。個人的な嗜好であることをお断りした上で、こう申し上げる。
アースのも、フマキラーのもダメである。
香りが違う。蚊取り線香の香りじゃないのである。
火を点けた蚊取り線香は、マダガスカルの蚊取り線香皿に入れる。
似たようなブリキのものを持っているけれど、見かけたらどうしても欲しくなって、梅雨入り前に買ったのだ。
鉄でできた、重くて無愛想なこの蚊取り線香皿が、大好きである。
枝豆を買いに出る。
八百屋さんは開いていたけれど、枝豆は売ってなかった。そうだ。今日は祝日なのだ。一応聞いてみる。枝豆はないですか。返ってきた答えは予想通りのものであった。今日は市場が休みだからねえ。
枝豆は西友で買ってきた。
7月に入って、枝豆もだいぶ肥ってきたようである。
莢がふっくらと膨らんでいる。
出始めの頃の枝豆は、見るとうれしいけれどやっぱりまだ痩せていて、なかなか手に取らない。これくらいふっくらしているほうが、気持ちも盛り上がるというものである。
枝豆は両端を切り落とす。
塩をたっぷり一掴みほど入れて、莢どうしを擦りあわせるようにして産毛と汚れをとる。
水で洗い流す。
さて、ここからだ。
通常なら、たっぷりと湯を沸かして塩茹でにするのだが、最近のお気に入りは、焼き枝豆である。
フライパンを熱する。油はひかない。
枝豆を入れ、コップ半分くらいの水を注ぐ。
蓋をして、蒸し焼きにする。
途中、何度か蓋を取ってフライパンを煽る。
水分がなくなって、煙が出てくるようになっても、まだ火は止めない。
そのまま煽って、莢がじりじりと焦げるまで焼き続ける。
しっかりと焦げ目がつくくらいまで焼いたら、火を止めて塩を入れ、全体に馴染ませたら完成である。
ちなみにこの調理法は、鉄のフライパンでやることをお薦めする。かなり高温になるので、フッ素加工を傷めてしまう可能性があるからである。
さあ、準備は調った。
あとは枝豆とビールを持って、いそいそとベランダへ。
古新聞といっしょに枝豆を持って出る。
器は、アフガニスタンの鉢である。古いもの。
ビールはヱビス。
おしぼりは欠かせない。枝豆の焦げや塩が手につくからだ。
グラスは、タピオのタンブラーである。ちなみに家の冷凍庫には常時このグラスが冷えている。飲み終わって洗って拭いたら、食器棚ではなく冷凍庫に戻っていく。
最高の時間だった。
いつものグラスでいつものビール。でも、すごく新鮮だった。一口めのビール、ああこの味、しばらく忘れていたな、って思った。毎日飲んでいるはずなのに。
枝豆は、焼くことで驚くほど甘みが出て、ほっくりする。そして香りが立つのだ。
なんだかうれしくて、にやけながらビールを飲む。枝豆をほおばる。
ああ、こんなにおいしいなんて。
内心は、最高に『ハイ』ってやつである。人差し指を顳顬(こめかみ)に突き立てたいような気分である。でもそんなことしないで静かに飲んでいる。
アパートのどこかの部屋からは、ちょっとした諍いの声が聞こえてくる。よいよい。諍いだって人が生きてるって証拠だよ、などと勝手なことを思う。
しばらくしたら、日が落ちて月が出ていた。夏の夜の月。ぼんやりしている。
最初は、なんでもない夕方をちょっとだけ特別なものにしよう、という思いつきだったのだ。ベランダでビール。
ただ場所を変えただけなのに、こんなに素敵な時間になるとは思わなかった。この夏の間に、何度もやってしまいそうだ。
たったひとつだけ、惜しむらくは右腕の肘の上を蚊に食われたことである。
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