トマトを買いに出かけて、なんとなく立ち寄った魚屋さんで、あんまりいいブリがあったので買う。照り焼きもいいけれど、こっくりと煮物もいいなあと思って大根を買って帰る。
帰ってきて思う。僕はブリを買うつもりじゃなかったんだ。
そろそろ入梅も近いか。
うっかり油断すると、すぐに季節が進んでしまう。春過ぎて夏来にけらし、である。
さて、外を歩くとジャケットのワキ汗が気になるくらいの暑さともなると、ビールの消費量も高まるというものである。
こよなくビールを愛する僕としては、相性のよいつまみをいつでも模索するようにして生きている。
枝豆やソーセージ類はもちろん最高の相性だ。手軽さもいい。フィッシュ&チップス、鶏の唐揚げなどの揚げ物類もよいが、ビールを飲みたい、と思ってから始めたのでは時間も手間もかかりすぎる嫌いがある。この時期にはさっぱりと浅漬けもいいけれど、これもなかなか難しい。うっかりおかしなものを買ってしまうと、味以上に落胆の気持ちが強くて、ビールの味も半減してしまう。
最近ではいんげん、またはスナップえんどう、あるいはさやえんどうと胡桃の白和えがお気に入りである。胡桃の香ばしさ、莢の青くささ、豆腐のねっとり感がよくて、登場頻度が高い。
ここで、ビールとの相性及び調理の手軽さにおいて、僕が暗々裏に最上級の評価を与えているつまみをご紹介したい。
四角い顔の、味はまろやかなやつ。
『ペヤング ソースやきそば』である。
僕は、ペヤング大好きである。
そして。
意外と知られていないかも知れないけれど、こいつ、ビールととても相性がいいのである。
ペヤングソースやきそばはこうやって作る。
まず、お湯を沸かす。
外装フィルムを剥がし、中に入っているソース、かやく、ふりかけ、スパイスを取り出す。
フタの湯切り口のツメを持ち上げておく。
これはとても大切な作業だ。
次に、かやくのみを麺の上にあけてお湯を注ぐ。
3分待ったら、お湯を切る。
どんなにしっかり切っても、お湯を完全に切ることはできない。
でもそれでいいのだ。最終的に、残ったお湯はソースと混ざってかやくのキャベツ*1に吸い取られて、独特のべしゃべしゃ感を作り出す。
ソースをかける。
ソースと麺、かやくをよく和える。
ここでどんなによく和えても、というよりも寧ろ、和えれば和えるほど、かやくのキャベツ*2は下に沈んでいく。
でも、それでいいのだ。最終的に、残ったかやくは独特のべしゃべしゃ感を作り出す。
最後に、『ふりかけ』と『スパイス』をかけたら、完成である。
インスタント食品に眉を顰める向きもあるとは思うけれど、ペヤングはおいしい。
ペヤングは食べ初めと、食べ終わりでは、味がかなり違う。
始めはモソモソとして、咽喉に詰まる感じがある。食べ進むにつれてどんどん味が濃くなっていって、最終的にはあのお湯とソースをしっかり吸い込んだべしゃべしゃのキャベツ*3を箸でつまむようにして食べることになる。
ビールは、ハートランドである。
緑の瓶のさわやかなビール。
ペヤングソースやきそばは、厳密に言えば(厳密じゃなくても)焼きソバではない。フライ麺をお湯で戻して、ソースと和えただけだ。焼いていない。
名ばかりのやきそばではある。
しかしながら、ペヤングは『ペヤング ソースやきそば』として、確立されている感がある。その確固たる存在感が我々を魅了するのではないか、とも思う。焼きソバじゃない。ペヤングソースやきそばなんだ、と。
もうひとつ、通常の焼きソバと比較して、ペヤングにしか具わっていない特徴がある。
それは『スナック感』である。
私見だが、このスナック感こそが、ビールとの関係を深くしているのではないかと思う。
そして、食べ終わった後、舌に残るわずかな痺れと、心に幽かに引っ掛かる罪悪感もまた、ペヤングの味わいのひとつである。
また、嫌な梅雨がやってくる。
風にも雪にも、夏の暑さにも負ける気はしないけれど、湿気が嫌いである。
あと少しの晴れ間を逃すことのないように、西荻窪の僕のベランダには、白栲の衣ではなく、白いバスタオルが干してある。
うっかり油断すると、すぐに季節が進んでしまう。春過ぎて夏来にけらし、である。
さて、外を歩くとジャケットのワキ汗が気になるくらいの暑さともなると、ビールの消費量も高まるというものである。
こよなくビールを愛する僕としては、相性のよいつまみをいつでも模索するようにして生きている。
枝豆やソーセージ類はもちろん最高の相性だ。手軽さもいい。フィッシュ&チップス、鶏の唐揚げなどの揚げ物類もよいが、ビールを飲みたい、と思ってから始めたのでは時間も手間もかかりすぎる嫌いがある。この時期にはさっぱりと浅漬けもいいけれど、これもなかなか難しい。うっかりおかしなものを買ってしまうと、味以上に落胆の気持ちが強くて、ビールの味も半減してしまう。
最近ではいんげん、またはスナップえんどう、あるいはさやえんどうと胡桃の白和えがお気に入りである。胡桃の香ばしさ、莢の青くささ、豆腐のねっとり感がよくて、登場頻度が高い。
ここで、ビールとの相性及び調理の手軽さにおいて、僕が暗々裏に最上級の評価を与えているつまみをご紹介したい。
四角い顔の、味はまろやかなやつ。
『ペヤング ソースやきそば』である。
僕は、ペヤング大好きである。
そして。
意外と知られていないかも知れないけれど、こいつ、ビールととても相性がいいのである。
ペヤングソースやきそばはこうやって作る。
まず、お湯を沸かす。
外装フィルムを剥がし、中に入っているソース、かやく、ふりかけ、スパイスを取り出す。
フタの湯切り口のツメを持ち上げておく。
これはとても大切な作業だ。
次に、かやくのみを麺の上にあけてお湯を注ぐ。
3分待ったら、お湯を切る。
どんなにしっかり切っても、お湯を完全に切ることはできない。
でもそれでいいのだ。最終的に、残ったお湯はソースと混ざってかやくのキャベツ*1に吸い取られて、独特のべしゃべしゃ感を作り出す。
*1 たぶん、キャベツ
ソースをかける。
ソースと麺、かやくをよく和える。
ここでどんなによく和えても、というよりも寧ろ、和えれば和えるほど、かやくのキャベツ*2は下に沈んでいく。
でも、それでいいのだ。最終的に、残ったかやくは独特のべしゃべしゃ感を作り出す。
*2 おそらく、キャベツ
最後に、『ふりかけ』と『スパイス』をかけたら、完成である。
インスタント食品に眉を顰める向きもあるとは思うけれど、ペヤングはおいしい。
ペヤングは食べ初めと、食べ終わりでは、味がかなり違う。
始めはモソモソとして、咽喉に詰まる感じがある。食べ進むにつれてどんどん味が濃くなっていって、最終的にはあのお湯とソースをしっかり吸い込んだべしゃべしゃのキャベツ*3を箸でつまむようにして食べることになる。
*3 キャベツ、じゃないかと思う
ビールは、ハートランドである。
緑の瓶のさわやかなビール。
ペヤングソースやきそばは、厳密に言えば(厳密じゃなくても)焼きソバではない。フライ麺をお湯で戻して、ソースと和えただけだ。焼いていない。
名ばかりのやきそばではある。
しかしながら、ペヤングは『ペヤング ソースやきそば』として、確立されている感がある。その確固たる存在感が我々を魅了するのではないか、とも思う。焼きソバじゃない。ペヤングソースやきそばなんだ、と。
もうひとつ、通常の焼きソバと比較して、ペヤングにしか具わっていない特徴がある。
それは『スナック感』である。
私見だが、このスナック感こそが、ビールとの関係を深くしているのではないかと思う。
そして、食べ終わった後、舌に残るわずかな痺れと、心に幽かに引っ掛かる罪悪感もまた、ペヤングの味わいのひとつである。
また、嫌な梅雨がやってくる。
風にも雪にも、夏の暑さにも負ける気はしないけれど、湿気が嫌いである。
あと少しの晴れ間を逃すことのないように、西荻窪の僕のベランダには、白栲の衣ではなく、白いバスタオルが干してある。
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曹洞宗の開祖、道元禅師は精進料理に関する著作『典座教訓』(てんぞきょうくん)に、基本となる”五味五法五色”を記しているという。
五法は調理法(生、煮る、焼く、揚げる、蒸す)、五色は料理の色、白・黒・赤・黄・青(緑)をあらわす。
そして、五味は味(辛、酸、甘、苦、鹹*1)である。道元禅師はこれに『淡味』を加え、六味としたのだそうだ。
この淡味とはなにかというと、薄味のことではなく、素材の持ち味を活かした味なのだという*2。
素材の持ち味を活かす。これだ。
僕が料理を作って人に食べさせたとき、「素材の味が生きてる」って言われたら、すごくうれしい。おそらく最もうれしい褒め言葉だろうと思う。
季節を食べるような食卓が理想だけれど、旬の食材をただ使えばいいというものではなくて、その素材の味を引き出してふくらませるような料理を心掛けたいものだ。
ここのところ、そんなことをよく考えている。
さて、旬を過ぎた感があるけれど、かぶを買ったのである。ただ、5月まではかぶの旬だと、ものの本には書いてある。
かぶと鶏肉の煮物が、じつは今、大ブームである。
もちろん個人的なブームだ。
夏に作る冬瓜と鶏肉の煮物を、かぶに変えて煮てみたらとてもおいしかったので、一躍この春の主役に躍り出たのである。
かぶは茎の部分を2cm程度残して、皮を剥く。
根元に泥が残っていることが多いので、流水でよく洗う。
余談だが、この小かぶの姿がかわいくて好きである。
だし汁を沸かして、ぶつ切りにした鶏もも肉を入れる。
鶏肉の色が変わったら、かぶを入れ、酒を入れ、沸騰したらざっと灰汁を取り除く。
甘みを感じない程度*3に砂糖を入れ、落し蓋をしてしばらく煮る。
やわらかくなったら、塩、薄口醬油で味をつけ、さらに落し蓋をして少し煮る。
最後に少し味醂*4を入れて、煮たら完成。
かぶと鶏肉の煮物。
やわらかく煮えたかぶのとろとろが、そしてほのかな土の匂いが、とてもおいしい。
アスパラガスのおひたし。
茹でたアスパラガスを濃い目のだしに浸しておいたもの。上に削り節を乗せる。
こちらは新牛蒡を湯がいて、胡麻味噌で和えたもの。
もう一品。
『玉ねぎ天』。
素材の持ち味が、とか言っておきながら、紀文の玉ねぎ天かよ、などと言わないでほしい。
おいしい。たまねぎの味するし。
玉ねぎ天は、軽く焙って生姜醬油でいただく。
まずはビール。
そろそろ、汗ばむような日も出てきた。
一年中ビールを飲んでいるけれど、やっぱりこういう時期になるとビールのうまさも一入であると、あたりまえながら思う。
今年、初の冷酒。
『翠露』の美山錦。
いつも買っている備前雄町の翠露がなかったので、こちらで。
すいすい、と。
さて、おいしいかぶの煮物を食べた後、残っているものがある。
かぶの葉と、皮である。
かぶの皮は厚めに剥くので、もったいないからとっておく。
これらは後日、別の料理として登場することになる。
ここからはその後日の話になる。
かぶは、その栄養が葉に集中しているらしい。あのかわいい白い実の部分は胚軸というのだそうだ(根ではない)。実の部分は殆どが水分だから、葉を食べなくてはもったいないのである。
かぶの葉っぱをどうするかというと、実に簡単におかか炒めにする。
鍋に油をひいて、細切りにしたお揚げとかぶの皮を炒める。
ざく切りにしたかぶの葉を入れる。山のように。
でもすぐに水分が抜けて小さくおさまってしまう。
酒をふり、砂糖を入れる。
ここでは甘辛味にするので、砂糖はしっかりと。
蓋をして、しばらく蒸し煮にする。
茎の部分がやわらかくなったら、濃口醬油。
これもしっかりめで味をつけたほうがよいと思う。
最後にちょっと味醂。
そして削り節をたくさんいれて、混ぜたら完成である。
この、おばあちゃん家で出てくる料理みたいな匂いが堪らない。
いかにもおばんざい、という感じ。
かぶの葉と皮のおかか炒め。
できたてもいいけれど、タッパーに入れて一日二日冷蔵庫に入れておいたものも、よりおばあちゃんっぽさが増して、好きである。
この食べものだと、なんとなくキリンラガーが似つかわしいような気がして、わざわざ買ってきた。
昭和のラガー。
玉ねぎ天。
残っていたので。
づけまぐろの山かけ。
西友で一番安いマグロのさくを買ってきて作る。
そしてまたもや、いんげんと胡桃の白和えである。
またかよ、などと言う勿れ。
いんげんが好きである。ほんとうに好きである。
かぶを殆ど棄てずに食べたのが、すごくうれしい。
棄てたのは、先っぽのヒゲの部分と葉っぱの黄色くなったところだけだ。
煮物も、おかか炒めも、かぶのおいしさをちゃんと引き出せたのではないかと、まことに手間味噌ながら思っている。
実にいい気分である。
話しは変わって、キーホルダーを買い替えた。
このヨットのキーホルダー。
ブリを買うつもりじゃなかったを思わせるこのヨットがどうしても欲しくなって、ちょっと高かったけれど買ってしまった。
ちょっとやそっとでは壊れそうにないし、たぶん、一生使うことになると思う。
五法は調理法(生、煮る、焼く、揚げる、蒸す)、五色は料理の色、白・黒・赤・黄・青(緑)をあらわす。
そして、五味は味(辛、酸、甘、苦、鹹*1)である。道元禅師はこれに『淡味』を加え、六味としたのだそうだ。
*1 鹹は塩辛いの意
この淡味とはなにかというと、薄味のことではなく、素材の持ち味を活かした味なのだという*2。
*2 解釈はさまざまあるらしいが
素材の持ち味を活かす。これだ。
僕が料理を作って人に食べさせたとき、「素材の味が生きてる」って言われたら、すごくうれしい。おそらく最もうれしい褒め言葉だろうと思う。
季節を食べるような食卓が理想だけれど、旬の食材をただ使えばいいというものではなくて、その素材の味を引き出してふくらませるような料理を心掛けたいものだ。
ここのところ、そんなことをよく考えている。
さて、旬を過ぎた感があるけれど、かぶを買ったのである。ただ、5月まではかぶの旬だと、ものの本には書いてある。
かぶと鶏肉の煮物が、じつは今、大ブームである。
もちろん個人的なブームだ。
夏に作る冬瓜と鶏肉の煮物を、かぶに変えて煮てみたらとてもおいしかったので、一躍この春の主役に躍り出たのである。
かぶは茎の部分を2cm程度残して、皮を剥く。
根元に泥が残っていることが多いので、流水でよく洗う。
余談だが、この小かぶの姿がかわいくて好きである。
だし汁を沸かして、ぶつ切りにした鶏もも肉を入れる。
鶏肉の色が変わったら、かぶを入れ、酒を入れ、沸騰したらざっと灰汁を取り除く。
甘みを感じない程度*3に砂糖を入れ、落し蓋をしてしばらく煮る。
*3 これが重要
やわらかくなったら、塩、薄口醬油で味をつけ、さらに落し蓋をして少し煮る。
最後に少し味醂*4を入れて、煮たら完成。
*4 ここでも、甘みが出ない程度に、が肝心である。
かぶと鶏肉の煮物。
やわらかく煮えたかぶのとろとろが、そしてほのかな土の匂いが、とてもおいしい。
アスパラガスのおひたし。
茹でたアスパラガスを濃い目のだしに浸しておいたもの。上に削り節を乗せる。
こちらは新牛蒡を湯がいて、胡麻味噌で和えたもの。
もう一品。
『玉ねぎ天』。
素材の持ち味が、とか言っておきながら、紀文の玉ねぎ天かよ、などと言わないでほしい。
おいしい。たまねぎの味するし。
玉ねぎ天は、軽く焙って生姜醬油でいただく。
まずはビール。
そろそろ、汗ばむような日も出てきた。
一年中ビールを飲んでいるけれど、やっぱりこういう時期になるとビールのうまさも一入であると、あたりまえながら思う。
今年、初の冷酒。
『翠露』の美山錦。
いつも買っている備前雄町の翠露がなかったので、こちらで。
すいすい、と。
さて、おいしいかぶの煮物を食べた後、残っているものがある。
かぶの葉と、皮である。
かぶの皮は厚めに剥くので、もったいないからとっておく。
これらは後日、別の料理として登場することになる。
ここからはその後日の話になる。
かぶは、その栄養が葉に集中しているらしい。あのかわいい白い実の部分は胚軸というのだそうだ(根ではない)。実の部分は殆どが水分だから、葉を食べなくてはもったいないのである。
かぶの葉っぱをどうするかというと、実に簡単におかか炒めにする。
鍋に油をひいて、細切りにしたお揚げとかぶの皮を炒める。
ざく切りにしたかぶの葉を入れる。山のように。
でもすぐに水分が抜けて小さくおさまってしまう。
酒をふり、砂糖を入れる。
ここでは甘辛味にするので、砂糖はしっかりと。
蓋をして、しばらく蒸し煮にする。
茎の部分がやわらかくなったら、濃口醬油。
これもしっかりめで味をつけたほうがよいと思う。
最後にちょっと味醂。
そして削り節をたくさんいれて、混ぜたら完成である。
この、おばあちゃん家で出てくる料理みたいな匂いが堪らない。
いかにもおばんざい、という感じ。
かぶの葉と皮のおかか炒め。
できたてもいいけれど、タッパーに入れて一日二日冷蔵庫に入れておいたものも、よりおばあちゃんっぽさが増して、好きである。
この食べものだと、なんとなくキリンラガーが似つかわしいような気がして、わざわざ買ってきた。
昭和のラガー。
玉ねぎ天。
残っていたので。
づけまぐろの山かけ。
西友で一番安いマグロのさくを買ってきて作る。
そしてまたもや、いんげんと胡桃の白和えである。
またかよ、などと言う勿れ。
いんげんが好きである。ほんとうに好きである。
かぶを殆ど棄てずに食べたのが、すごくうれしい。
棄てたのは、先っぽのヒゲの部分と葉っぱの黄色くなったところだけだ。
煮物も、おかか炒めも、かぶのおいしさをちゃんと引き出せたのではないかと、まことに手間味噌ながら思っている。
実にいい気分である。
話しは変わって、キーホルダーを買い替えた。
このヨットのキーホルダー。
ブリを買うつもりじゃなかったを思わせるこのヨットがどうしても欲しくなって、ちょっと高かったけれど買ってしまった。
ちょっとやそっとでは壊れそうにないし、たぶん、一生使うことになると思う。
「昨日は、全社集会で出張だったんだよねー。」
―「芸者集会?」
「全社集会。ぜ・ん・しゃ。」
―「電車!?」
僕は別に意地悪をしていたわけではない。相手の滑舌が悪いというのでもない。聞き取れなかったのだ。電話だったし。
こういうときの頭の回転というのはすごいものがある。相手の話を何とか理解できる領域にまで近づけるために、かなりの速度で回転するのだ。高速でエンジンだけが回転して、でもクラッチが繫がっていないから、どこにも行き着かない。
今でも僕は、このときに頭をよぎった、『出張までして参加しなくてはならない』、『芸者』や『電車』の『集会』の様子をはっきりと思い描くことができる。
そんな夜。
僕の頭と身体は、やはりかなりの速度で回転していた。
獺祭(だっさい)を買ってきて、飲もうとしていたのだ。
しかも、だ。
『温め酒』と書いてある。お燗専用だ。
40度位でお飲み下さい、と温度まで指定している。
こりゃあ、人肌からちょっとだけ熱いくらいの燗をつけていただくしかないね。
吟醸酒をお燗するなんて考えられなかったけれど、どうやら時代は変わるというものらしい。食中酒として燗酒が華々しい復権を遂げて、さて登場したるは燗をつけるための純米大吟醸である。
考えてみれば、吟醸酒を温めてはいけないなんて、誰が決めたのだ。それなら、と燗をつけておいしい吟醸酒を作ってしまおう、という発想に辿り着いたのはなかなかすごい。
生のかじきまぐろ、のアラである。
血合いがあるから、アラなのかな。300円くらいだったので迷わず購入。お得である。
実にお得である。
かじきは照焼きにするのだ。酒と醬油の漬け汁にしばらく漬けておく。
そして、両面を焼いて、酒をふって蓋をして蒸し焼きにしたら、酒、砂糖、醬油、味醂を合わせたかけ汁を掛けながら煮詰めていく。
こちらはというと、セキヤ家の家庭の味である。
蓮根と蒟蒻の炒り煮とでも呼ぶべきもの。正式名称はない。
まずは、鍋に豚こま切れ肉を炒める。
蒟蒻は、一口大にちぎって茹でておく。
肉の色が変わったら、乱切りにした蓮根、蒟蒻を入れてさらに軽く炒める。
ひたひたよりも少なめくらいのだし汁を加える。
酒、砂糖を入れたら落し蓋をして、しばらく煮る。
塩少々、醬油メインで味を決めたら、さらに落し蓋をして煮る。
最後に味醂を少し入れ、水分を飛ばすような感じでちょっと煮たら完成である。
今回はさらに続く。
だし汁に、ささがきにした牛蒡を入れて煮る。
手で崩した木綿豆腐を入れる。
酒、砂糖、塩、薄口醬油、味醂で味付けする。
それをたまごでとじる。
三つ葉をたっぷり乗せ、蓋をして30秒くらいで完成。
そして、さらにもう一品。
さやいんげんと胡桃の白和え。
いんげんが大好きだ。
ほんとうに好きだ。
蓮根と蒟蒻の炒り煮。
肉と蒟蒻を一緒に調理すると、肉が固くなる※という。
そんなことお構いなしに、なんとなく定番として定着しているのは、この料理がおいしいからに他ならない、と思うのである。
牛蒡と豆腐のたまごとじ。
ちなみに今回の献立で、一番最後に調理したのがこの一品である。
それは、三つ葉の香りを一番いい瞬間で味わいたかったからだ。
蓋をして30秒。蓋を開けたら間髪を入れずに盛り付けて食卓へ。
かじきまぐろの照焼き。
最後に針しょうがを乗せる。
しかし、一晩で随分作ったものだと思う。
獺祭に対する期待値の高さがなせる業か。
さて、その獺祭の温め酒はどうだったかというと、これが実においしかった。なんとしても40度で飲んでやれという意地もあって、温度もちゃんと計ったのだ。
吟醸香にも厭味がないし、実に旨いお酒だった。
頭も身体もフル回転だった。率直に言って、かなり疲れた。やりすぎだ。
しかしながらこの疲労感もまた、心地よい酔いを齎してくれたと言える。
―「芸者集会?」
「全社集会。ぜ・ん・しゃ。」
―「電車!?」
僕は別に意地悪をしていたわけではない。相手の滑舌が悪いというのでもない。聞き取れなかったのだ。電話だったし。
こういうときの頭の回転というのはすごいものがある。相手の話を何とか理解できる領域にまで近づけるために、かなりの速度で回転するのだ。高速でエンジンだけが回転して、でもクラッチが繫がっていないから、どこにも行き着かない。
今でも僕は、このときに頭をよぎった、『出張までして参加しなくてはならない』、『芸者』や『電車』の『集会』の様子をはっきりと思い描くことができる。
そんな夜。
僕の頭と身体は、やはりかなりの速度で回転していた。
獺祭(だっさい)を買ってきて、飲もうとしていたのだ。
しかも、だ。
『温め酒』と書いてある。お燗専用だ。
40度位でお飲み下さい、と温度まで指定している。
こりゃあ、人肌からちょっとだけ熱いくらいの燗をつけていただくしかないね。
吟醸酒をお燗するなんて考えられなかったけれど、どうやら時代は変わるというものらしい。食中酒として燗酒が華々しい復権を遂げて、さて登場したるは燗をつけるための純米大吟醸である。
考えてみれば、吟醸酒を温めてはいけないなんて、誰が決めたのだ。それなら、と燗をつけておいしい吟醸酒を作ってしまおう、という発想に辿り着いたのはなかなかすごい。
生のかじきまぐろ、のアラである。
血合いがあるから、アラなのかな。300円くらいだったので迷わず購入。お得である。
実にお得である。
かじきは照焼きにするのだ。酒と醬油の漬け汁にしばらく漬けておく。
そして、両面を焼いて、酒をふって蓋をして蒸し焼きにしたら、酒、砂糖、醬油、味醂を合わせたかけ汁を掛けながら煮詰めていく。
こちらはというと、セキヤ家の家庭の味である。
蓮根と蒟蒻の炒り煮とでも呼ぶべきもの。正式名称はない。
まずは、鍋に豚こま切れ肉を炒める。
蒟蒻は、一口大にちぎって茹でておく。
肉の色が変わったら、乱切りにした蓮根、蒟蒻を入れてさらに軽く炒める。
ひたひたよりも少なめくらいのだし汁を加える。
酒、砂糖を入れたら落し蓋をして、しばらく煮る。
塩少々、醬油メインで味を決めたら、さらに落し蓋をして煮る。
最後に味醂を少し入れ、水分を飛ばすような感じでちょっと煮たら完成である。
今回はさらに続く。
だし汁に、ささがきにした牛蒡を入れて煮る。
手で崩した木綿豆腐を入れる。
酒、砂糖、塩、薄口醬油、味醂で味付けする。
それをたまごでとじる。
三つ葉をたっぷり乗せ、蓋をして30秒くらいで完成。
そして、さらにもう一品。
さやいんげんと胡桃の白和え。
いんげんが大好きだ。
ほんとうに好きだ。
蓮根と蒟蒻の炒り煮。
肉と蒟蒻を一緒に調理すると、肉が固くなる※という。
そんなことお構いなしに、なんとなく定番として定着しているのは、この料理がおいしいからに他ならない、と思うのである。
※蒟蒻のカルシウムが肉を固くする
牛蒡と豆腐のたまごとじ。
ちなみに今回の献立で、一番最後に調理したのがこの一品である。
それは、三つ葉の香りを一番いい瞬間で味わいたかったからだ。
蓋をして30秒。蓋を開けたら間髪を入れずに盛り付けて食卓へ。
かじきまぐろの照焼き。
最後に針しょうがを乗せる。
しかし、一晩で随分作ったものだと思う。
獺祭に対する期待値の高さがなせる業か。
さて、その獺祭の温め酒はどうだったかというと、これが実においしかった。なんとしても40度で飲んでやれという意地もあって、温度もちゃんと計ったのだ。
吟醸香にも厭味がないし、実に旨いお酒だった。
頭も身体もフル回転だった。率直に言って、かなり疲れた。やりすぎだ。
しかしながらこの疲労感もまた、心地よい酔いを齎してくれたと言える。
「オナラはね、愛だよ。」
そんな言葉を僕は何度口にしただろう。
愛を届けたい一心で、僕は大きな音でオナラをするのだ。これは言い訳ではない。
例えば、である。
よく晴れた日曜の昼下がりに、頭の悪そうな犬を連れた初老の男性が、歩きながら何食わぬ顔でプーっとやる。
あるいは、だ。
夏の夕方、留守番をさせられていたネコのもとに夕刊を持って飼い主が帰ってくる。ネコは寂しかったし、おなかも空いているから、飼い主の足に8の字を描くように纏わりついて、にゃーにゃー鳴く。
しかし飼い主は、よしよしと言いながら2、3度頭を撫でただけで、麦茶を飲んですぐに夕刊に取り掛かる。ネコは飼い主が広げた夕刊の上に陣取ってお尻を向け、悔し紛れにプッてやる。
このどちらにも、僕は可笑しみを禁じ得ない。おそらく堪えきれずに、ふっと笑いを洩らしてしまうだろう。
つまり、こういうことだ。
笑顔が見たいだけなのだ。愛する人々の笑顔が見たいけれど、その度に犬を連れたおじさんや夕刊に乗っかったネコを用意するわけにもいかないから、恥を偲んで僕がオナラをするのだ。
だから、オナラは愛なのだ。
新牛蒡が出ていたので買った。
新牛蒡や菜の花、蚕豆はうれしい春の便りだ。出ていたら買い求めてしまう。
新牛蒡は軟らかいから、ささがきにするよりも叩いてほっくりと煮るほうが好みだ。今回は鶏つくねを作って一緒に煮ることにする。
つくねの材料は、鶏挽き肉(ムネ3:モモ2)、ねぎのみじん切り、全卵、酒、塩、片栗粉、生姜の搾り汁である。
これを白っぽくなって粘りが出てくるまで、根気よく捏ねる*。
牛蒡はたわしで泥を落とし、適当な長さに切ったあと、袋に入れてすりこぎでぶっ叩く。
しばらく水に晒す。
鍋にだし汁を煮立たせて、つくねを煮ていく。
つくねの表面が固まったら、牛蒡を入れ、酒と砂糖を入れる。
最後に味醂を入れるので、その分を考慮して甘みをつけるようにする。
落し蓋をして、牛蒡が軟らかくなるまで煮る。
煮えたら、塩、濃口醬油を加え、味醂で味を決める。
もう一度落し蓋をして、煮含める。
三つ葉はたっぷり。食べる直前に入れて、少ししんなりさせるくらいが色も良くて好きである。
新牛蒡と鶏つくねの煮物。
三つ葉のちょっとクセのある香りが、甘辛味を引き締めてくれるようでおいしい。
おそらく最多登場の枝豆としらす、豆腐の和えもの。
前日お客があったので、その残りである。
一日経つと、味が随分変化するのだ。豆腐がねっとりして、これもまたおいしい。
真鯛の胡麻醬油和え。
鯛のさくが安かったので。白ごまをすり鉢であたり、そぎ切りにした鯛にまぶして醬油で和えたもの。
上に大葉の千切りを乗せる。
まずはビールから。
お酒は真澄を燗で。
穏やかでしみじみとおいしい。この真澄はこれでおしまいとなった。
次のお酒は何にしようか。真澄がおいしかったから、ちょっといい真澄にも挑戦してみようか、などと考えているところである。
おなかが満たされた後、お酒をもうちょっと飲みたいなんて思うとき、舐めるような肴があるとよい。
今回は牛蒡のかけらや、つくねからこぼれたねぎをちまちまとつまんでは口に運んでいた。
このちまちま具合がなんともおいしい。そしてちょっと可笑しい。
ああ、酒のみなんだなあなどと思う。
牛蒡に食物繊維が多く含まれていることは、広く通じている事実であろうと思う。
食物繊維が多く含まれる食品を食べた場合、胃で分解されずに腸まで届き、大腸内の腸内細菌の作用でガスが発生する。二酸化炭素やメタンガスだ。
これは自然の摂理である。抗うことはできない。
このようにして、僕は世界に向けて愛を放つ。
くさいだなんて、言うんじゃない。
そんな言葉を僕は何度口にしただろう。
愛を届けたい一心で、僕は大きな音でオナラをするのだ。これは言い訳ではない。
例えば、である。
よく晴れた日曜の昼下がりに、頭の悪そうな犬を連れた初老の男性が、歩きながら何食わぬ顔でプーっとやる。
あるいは、だ。
夏の夕方、留守番をさせられていたネコのもとに夕刊を持って飼い主が帰ってくる。ネコは寂しかったし、おなかも空いているから、飼い主の足に8の字を描くように纏わりついて、にゃーにゃー鳴く。
しかし飼い主は、よしよしと言いながら2、3度頭を撫でただけで、麦茶を飲んですぐに夕刊に取り掛かる。ネコは飼い主が広げた夕刊の上に陣取ってお尻を向け、悔し紛れにプッてやる。
このどちらにも、僕は可笑しみを禁じ得ない。おそらく堪えきれずに、ふっと笑いを洩らしてしまうだろう。
つまり、こういうことだ。
笑顔が見たいだけなのだ。愛する人々の笑顔が見たいけれど、その度に犬を連れたおじさんや夕刊に乗っかったネコを用意するわけにもいかないから、恥を偲んで僕がオナラをするのだ。
だから、オナラは愛なのだ。
新牛蒡が出ていたので買った。
新牛蒡や菜の花、蚕豆はうれしい春の便りだ。出ていたら買い求めてしまう。
新牛蒡は軟らかいから、ささがきにするよりも叩いてほっくりと煮るほうが好みだ。今回は鶏つくねを作って一緒に煮ることにする。
つくねの材料は、鶏挽き肉(ムネ3:モモ2)、ねぎのみじん切り、全卵、酒、塩、片栗粉、生姜の搾り汁である。
これを白っぽくなって粘りが出てくるまで、根気よく捏ねる*。
*久しぶりにこれをやったら、肩から二の腕にかけて筋肉痛になった。
牛蒡はたわしで泥を落とし、適当な長さに切ったあと、袋に入れてすりこぎでぶっ叩く。
しばらく水に晒す。
鍋にだし汁を煮立たせて、つくねを煮ていく。
つくねの表面が固まったら、牛蒡を入れ、酒と砂糖を入れる。
最後に味醂を入れるので、その分を考慮して甘みをつけるようにする。
落し蓋をして、牛蒡が軟らかくなるまで煮る。
煮えたら、塩、濃口醬油を加え、味醂で味を決める。
もう一度落し蓋をして、煮含める。
三つ葉はたっぷり。食べる直前に入れて、少ししんなりさせるくらいが色も良くて好きである。
新牛蒡と鶏つくねの煮物。
三つ葉のちょっとクセのある香りが、甘辛味を引き締めてくれるようでおいしい。
おそらく最多登場の枝豆としらす、豆腐の和えもの。
前日お客があったので、その残りである。
一日経つと、味が随分変化するのだ。豆腐がねっとりして、これもまたおいしい。
真鯛の胡麻醬油和え。
鯛のさくが安かったので。白ごまをすり鉢であたり、そぎ切りにした鯛にまぶして醬油で和えたもの。
上に大葉の千切りを乗せる。
まずはビールから。
お酒は真澄を燗で。
穏やかでしみじみとおいしい。この真澄はこれでおしまいとなった。
次のお酒は何にしようか。真澄がおいしかったから、ちょっといい真澄にも挑戦してみようか、などと考えているところである。
おなかが満たされた後、お酒をもうちょっと飲みたいなんて思うとき、舐めるような肴があるとよい。
今回は牛蒡のかけらや、つくねからこぼれたねぎをちまちまとつまんでは口に運んでいた。
このちまちま具合がなんともおいしい。そしてちょっと可笑しい。
ああ、酒のみなんだなあなどと思う。
牛蒡に食物繊維が多く含まれていることは、広く通じている事実であろうと思う。
食物繊維が多く含まれる食品を食べた場合、胃で分解されずに腸まで届き、大腸内の腸内細菌の作用でガスが発生する。二酸化炭素やメタンガスだ。
これは自然の摂理である。抗うことはできない。
このようにして、僕は世界に向けて愛を放つ。
くさいだなんて、言うんじゃない。
先日、武道館にくるりを観に行ってきた。まだ雪が残っているころだ。
ラスト近くで『春風』をやった。でも春はまだ遠いな、と思った。
そろそろ天気予報では三寒四温を連呼するようになる。それでもまだ2月。夜の冷え込みがだいぶ身に応える。
寒さは厳しくても、野菜は春のものが出回ってきた。寒いのにもうんざりしてくるこの時期、八百屋さんの店先で菜の花や新牛蒡を見るのは、うれしいものである。
菜の花を買った。
このかわいい黄色い花を見ていると、少し心も綻ぶ。
菜の花は、おひたしにする。
苦味が残るように、さっと湯がく。
そのままシンプルでもいいけれど、今回はピーナッツを入れることにする。ナッツの脂肪の甘みが、おひたしの味を膨らませてくれるからだ。もう少し暖かくなったら、菜の花だけのさっぱりしたおひたしを作ろうと思う。
だいぶ前にも紹介した、高橋みどりさんの『酒のさかな』。
この本にある料理はどれも、ほんとうに酒のみ心をそそられるのである。
今回は、この中に紹介されている『そら豆の白和え』をいんげんに変えて作る。蚕豆もそろそろ出てくるころだけれど、冷蔵庫の都合でいんげんである。
まず、胡桃を軽く煎る。
水切りした木綿豆腐と胡桃、砂糖、薄口醬油をすり鉢であたる。
歯ごたえを残すように茹でたいんげんをさっくりと合わせる。
さて、この間蓋ものの器を買った。
これだ。
何を入れているかというと、梅干しである。
去年の夏、鶏のムネ肉を湯がいて、叩いた梅肉を溶いただし汁に浸す、というのを気に入ってずいぶん作っていた。ブログでも紹介しようと思っていたけれど、結局そのままにしてしまったので、今回やっと登場させることができる。
これだ。
久しぶりのブリ買うだ。
通常、ムネ肉で作るのだけれど、今回はちょっと奢ってささみで作る。
ささみ肉はスジを取り除いて、そぎ切りにし、さっと湯がく。
だし汁に叩いた梅肉を溶いて、すり胡麻を加え、塩、薄口醬油で味を調え、そこに湯がいたささみを浸す。
器に盛ったら胡麻油をひとまわしかけて、千切りの大葉を添える。
菜の花とピーナッツのおひたし。
いんげんと胡桃の白和え。
だし巻きたまご。
本当はこの日、だし巻きを作るつもりはなかったのだけれど、昼間たまご焼き器について話しをしていて、なんとなく作りたくなったのだ。
たまご焼きに醬油ちょろり。
堪らない瞬間である。
ビールはいつもどおりのヱビスである。
食べもので春を感じたい、という食卓ではあるが、やっぱり外は寒いので、お酒は燗をつける。
徳利をお湯につけている、この風景が暖かくて好きである。
真澄。
燗が映えるお酒である。
うん。おいしい。
でもやっぱり寒い。どうしたって寒いのなら、うんざりだなんて言わずにあともう少し、寒さを愉しむくらいの心の余裕を持つべきだろう、なんてことを菜の花を食べながら思った。
明日はまた雪が降るという。
春風はまだ遠い。
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菜の花を買った。
このかわいい黄色い花を見ていると、少し心も綻ぶ。
菜の花は、おひたしにする。
苦味が残るように、さっと湯がく。
そのままシンプルでもいいけれど、今回はピーナッツを入れることにする。ナッツの脂肪の甘みが、おひたしの味を膨らませてくれるからだ。もう少し暖かくなったら、菜の花だけのさっぱりしたおひたしを作ろうと思う。
だいぶ前にも紹介した、高橋みどりさんの『酒のさかな』。
この本にある料理はどれも、ほんとうに酒のみ心をそそられるのである。
今回は、この中に紹介されている『そら豆の白和え』をいんげんに変えて作る。蚕豆もそろそろ出てくるころだけれど、冷蔵庫の都合でいんげんである。
まず、胡桃を軽く煎る。
水切りした木綿豆腐と胡桃、砂糖、薄口醬油をすり鉢であたる。
歯ごたえを残すように茹でたいんげんをさっくりと合わせる。
さて、この間蓋ものの器を買った。
これだ。
何を入れているかというと、梅干しである。
去年の夏、鶏のムネ肉を湯がいて、叩いた梅肉を溶いただし汁に浸す、というのを気に入ってずいぶん作っていた。ブログでも紹介しようと思っていたけれど、結局そのままにしてしまったので、今回やっと登場させることができる。
これだ。
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通常、ムネ肉で作るのだけれど、今回はちょっと奢ってささみで作る。
ささみ肉はスジを取り除いて、そぎ切りにし、さっと湯がく。
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器に盛ったら胡麻油をひとまわしかけて、千切りの大葉を添える。
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真澄。
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誕生日:
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