写真はエントランス部分である。
築40年くらいは経っているのではないかと思われる(不動産屋さんには築25年と言われているが絶対ウソだと思う)。
古い物件に住みたくてここに決めたので、ぜんぜんかまわないわけであるが。
建物のネーミングもいたってシンプルである。それがよかった。自分の住所を書いたり、人に教えたりするときにまったく恥ずかしさを感じないというのは本当に気持ちのいいものである。
管理人夫妻もとても気さくでいい人たちだ。環境としては申し分ないアパートだ。
ただ、ツッコミどころが満載なので、矢も盾もたまらずここに紹介させていただく。
これはエントランスの掲示板に貼ってあるのだが、お気づきだろうか。
実はすべてがこの調子だ。
ゴミの集積場に入ると…
ペットボトルわ…
スーパって…
写真では判りにくいが、最上部に赤字で『お願がい』と書かれている。『が』が多い。
さらに、下部には『不燃ゴミしないで下さい』とある。動詞的用法?
これに至っては、ほぼすべての行にツッコむことができる。
共力?
セン又、ふたお、人の名前か?
中実?
潰してくだい…
片ずけ、しかも左端の◎はいらないだろ…
社会てきルールお…
…。
でも、いい人たちなんですよ。ほんとに。
ある朝、グレゴール・ザムザがなにか氣懸かりな夢から眼をさますと、自分が寢床の中で一匹の巨大な毒蟲に變つてゐるのを發見した。彼は鎧のやうに固い背を下にして、仰向けに橫たはつてゐた。頭を少し持ち上げると、アーチのやうにふくらんだ褐色の腹が見える。腹の上には橫に幾本かの筋がついてゐて、筋の部分はくぼんでゐる。腹のふくらんでゐるところに掛かつてゐる蒲團は今にもすつかりずり落ちさうになつてゐた。澤山の肢が彼の眼の前に賴りなげにぴくぴくと動いてゐた。胴體の大きさにくらべて、肢はひどくか細かつた。
フランツ・カフカ/高橋義孝訳 『變身』(新潮社、1952年)より
月曜の朝、僕は毒虫に変身していたわけではなかったけれど、強い吐き気とともに目が覚めた。
セキヤは毒におかされている!早く教会に行って毒の治療をしてもらわないと!1歩歩くごとにHPが減っていく!
*「されば わが きょうかいに
14ゴールドの ごきふを。
よろしいですかな?
*「しまった。円しか持ってないや…。
それはさておき、朝の6時30分から吐き続けた。下痢もひどかった。尾籠な話で大変恐縮であるが、便器はひとつ。吐瀉物と糞便のどちらを先に処理するか判断しないといけないくらいだった。
悪寒もひどくて、体中の関節が痛い。39℃近い熱もある…。
結局、月曜日はベッドとトイレの往復しかできず、熱で朦朧とする意識の中、水を飲んでは嘔吐と下痢を繰り返すという一日であった。記憶がほとんどない…。
翌日、病院に行って下された診断は、『ノロ・ウイルス感染症』(!)
遅くないか?流行ってたの、2年くらい前じゃ・・・。
冬場は流行るらしいです。インフルエンザを心配していたので、とりあえずよかったが(よくないけど)、どうも下痢や嘔吐が治まるまでは僕も感染源であるらしい。触ったドアノブでもうつる可能性があるとのこと。
そういえば、先月頭から引越しその他でずうっとバタバタしていたな…。引越しが終わって、片付けが済んで、日曜日に友人の結婚式が終わって、ひと段落と思った矢先のノロ・ウイルス攻撃であった。油断した。
もともと胃腸は弱い。年に1回はほぼ例外なくダウンする脆弱な肉体の持ち主である。ここはもう、神様が休めと仰っているのだと(都合よく)解釈して、静養させていただきます。というかそれ以外にできることはない。
それでも三日三晩かかって、ブログを書けるくらいまで回復してきました。
我が家のトイレで独り、僕の惨状を具(つぶさ)に見つめ続けていた健気で可憐なガーベラも、些か疲弊気味だ。
嫌なものを見せてしまったなあ、と思う。
*「たのもしき カミの しもべよ
わが きょうかいに どんな
ごようじゃな?
*「用はありません。休むだけです。神様の思し召しどおりに。
井の頭公園は今、紅葉が見ごろだ。
今年はしばらく暖かかったので、紅葉が遅れたか。
井の頭公園はご近所なので、よく行く。三鷹台に住んでいたころは、吉祥寺に向かうとおり道でもあったので、2週間に一度くらいのペースで行っていた。というか、とおっていた。
今年は紅葉をしっかり見てやろうと思っていたので、先週(12月1日)カメラを持って行った。写真に収めてやろうと。桜の時期は人が多すぎてとても近づく気にはなれないので、紅葉はちゃんと見ようと思ったのだ。
なかなか見事だった。
楓の紅葉。緑と赤のグラデーションとか。
一本だけ、オレンジ色に紅葉しているのがあった。
ここの風景がいちばん好きだ。
ここは井の頭公園の南東の果て、井の頭公園駅の裏手あたり。
春の新緑のころもとてもきれいだし、雪が積もれば必ずここを見に来る。
井の頭公園はいつも人が多いけれど、ここまで来るとぐっと人が減る。穴場です。
通いなれた公園のきれいな時期に、カメラを持って写真を撮りに行くというのは、ちょっと気恥ずかしいものがある。
何というか、わざわざ出掛けて行く感。まるで、旧知の友人に改まって何かを話すような。
まあ、そんな一抹の含羞も見事な紅葉の前にはすぐに吹き飛んでしまったのだけれども。
『Ethology』(coa records 2004)
HARCO
明るい気分と共に目を覚ます
天候はおそらく午後から崩れる
窓際でずっと空元気を振りまいては
今日のこともすぐに忘れてしまうよと野良猫に話す
切り絵のような町を抜けて
ああ、僕は寂しさを素手でぐっと遠ざける
(『お引越し』より)
引越しをしたので『お引越し』から引用してみた。
実際にやってみると、寂しさを素手で遠ざけるような切ないものではぜんぜんなかったわけである。とても大変でした。
引越したのは11月17日。土曜日。有志の友人4人に手伝ってもらって、どうにか引越しました。
荷造りは1週間前くらいから始めていたのだけれど、それでも間に合わなかった…。結局、大量の食器たちはダンボール20箱にもなり、文庫本を含めて本たちは15箱になった。我ながら荷物の多さに呆れたが、まあ愛するモノたちだからしょうがないか。
クローゼットの奥のほうを発掘すると、いらないものが実にたくさん出てきた。捨てられない自分に対し、内心忸怩たる思いです。なぜか未開封のポテトチップスが出てきたし…。何で隠すようにあんなところにしまってあったのか、謎である。
5年間住んだ部屋には申し訳ないのだけれど、新しいところに越すというのは今まで溜めてきた澱(おり)を置いていく、というような気持ちが強かった。いらないものを捨てるとかそういうことよりも、もっと精神的な、生活の澱のようなものを捨てる感じ。
まさに混沌の様相を呈している。
椅子が足りなくて、ビールケースにクッションを置いて椅子代わりにしてるし。
お引越しを手伝ってくれたみなさま、本当にありがとう。
1週間後、三鷹台の部屋に戻ってできるだけきれいに掃除をしてきた。5年間住んだ部屋に感謝の気持ちをこめて。
モノがすっかりなくなってがらんとした部屋にいると、ちょっとだけ寂しさを素手で遠ざけるような気持ちになった。
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『Pocketful of Poetry』
Mindy Gledhill
この数ヶ月、僕は「ミンディ・グレッドヒルは分かってる!」と叫び続けてきた。この人のアルバムからはポップってのはこういうものさ、という自信が滲み出ていると思う。tr. 2『Trouble No More』がツボ中のツボ。僕の好物ばっかりいっぱい詰まってる。決して大袈裟な表現ではなく、棄て曲なし、最高に幸せな30分あまり。
『D'ACCORD』
SERGE DELAITE TRIO with ALAIN BRUEL
アトリエサワノのピアノトリオが大好きです。2枚同時発売のうちの1枚。これはピアノトリオにアコーディオンを加えた演奏。明るい休日のランチ。冷えた白ワイン飲みたくなる感じ。
J.S. Bach/Goldberg Variations
Simone Dinnerstein
ゴルトベルク変奏曲からグールドの影を拭いきれないのは仕方がない。この人の演奏には”脱・グールド”みたいな気負いはなく、曲に対してもグールドに対しても愛情に満ちていて、丁寧で、やさしくてすごく好きです。