家にごはんを食べに来るネコたちの中で、おそらくこいつがいちばん瘠せている。
眼光が鋭い。耳が思いっきり警戒している。
それでも今日は写真を撮らせてくれた。少し慣れてきたのかも。
不安定な体勢でミルクを飲む。
見んなよ、みたいな表情。
僕はもうすぐ引越してしまうけれど、がんばって生きろよ。
オレとしては 猫にとって
大地の恵みでありたいと
空から雨が降るように
大地に日々の糧を得るように
猫に 猫缶
ありがとうなんて
聞こえなくていい
やまだないと『西荻カメラ』(杉並北尾堂 2003)より
ネコたちと接していて感じるのは、たとえそれが飼い猫であっても、人間はただの環境に過ぎないのだ、ということ。飼い主でも、同居人でさえなくて、何となくそこにあるものとして受け入れているように感じる。もちろんネコたちがほんとうはどう感じているのかはわからないのだけれど。
でもそんな関係もなかなか気持ちいいものだと思う。
とはいえ、こちらの気持ちと裏腹につれない態度を取られて、「まあしょうがねえか」と看過できるのは、やはり相手がネコだからこそなのだけれども。
僕はいわゆる『鉄道マニア』ではない。
ではなぜこのような写真を撮っているのかといえば、このソリッドカラーの中央線「201系」が引退してしまうからだ。
僕は中野で生まれ育った。中学・高校は吉祥寺と西荻の間くらいにあった(今は移転した)某大学の付属校だ。ひとり暮らしを始めて住みついたのは三鷹台だけれど、徘徊先はやっぱり吉祥寺・西荻窪だし、今度引っ越そうと思っているのもやっぱり西荻窪だ。
もう、純粋培養かというくらいの中央線人間である。
本当のことを言うと、中央線なんか嫌いだった。かっこわるいと思っていた。渋谷から南に延びていく東急に密かな憧憬を抱いていた。ひとり暮らしを始めるときに井の頭線を選んだのも、私鉄沿線に住みたいと思ったからだ。中央線なんて、と。でも三鷹台だからすぐ近くなわけですが。
中央線の魅力を客観的に見られるようになったのは、ここ3~4年のことだと思う。実はそれぞれの街に特徴があってとても面白いことに気がついた。中野も高円寺も西荻も吉祥寺も距離としては大して離れていないのに、駅ごとにそれぞれの文化があって、そういう人が住みついている。私鉄沿線はそれぞれの駅に特徴が乏しい気がする。離れてみて、そのことに気がついた。やはり『故郷は遠きにありて思うもの』か(ぜんぜん遠くないけど)。
音楽もマンガも本も気がつけば『中央線的』なものばかり好きになる。やっぱりそうか。僕は中央線人間なのだ。東西に伸びるオレンジ色が僕の文化的土壌だったのだ。
さて、201系の後継車は、かなりモダンなステンレス車両である。車内は広いし、音も静かだ。だけど、僕にとっての中央線というのは、オレンジ一色の電車だ。あいつがいなくなるのは、正直とっても寂しいのです。201系の導入は1979年だそうなので、僕の中央線人生のほとんどをともに過ごしてきたことになる。
さよなら、愛しいオレンジ色。
僕は、髄まで沁みこんだオレンジ色文化を誇りに思う。
東京・三鷹市井の頭というところに住んでいる。最寄り駅は井の頭線の三鷹台駅。吉祥寺から5分、渋谷・新宿からも30分足らずのところだけれど、けっこう田舎だ。
この間、三鷹台の駅前通りをひたすら南に向かってみた。自転車で。
結局、行き着いた先は京王線の調布駅だったわけだけれど、その途中の光景はなかなかのものだった。
田んぼ
畑
萱葺屋根の家
僕は東京・中野の出身で、どんなに自転車を走らせても街が続く、という環境しか知らなかった。自分が住んでいるところから20分くらいでこんな場所があるなんて。『町のはずれ』という言葉を実感した。空が広い。視界が広い。
車の免許は一応持っているけれど、ほとんど乗ったことはない。車も持っていない。必要がないからだ。移動手段は(電車・バスのほかは)もっぱら自転車だ。移動距離に限界はあるけれど、自転車のいいところは空気感を感じながら走ることができることだと思う。
そんなことを思いながら、まるで夏休みの小学生のように自転車で疾走する30歳である。
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つまんないこと なんだか嫌なこと わけもなくイライラすること
みんな自転車が追い越して 僕の横を流れていく
(『自転車疾走シーン』より)
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『Pocketful of Poetry』
Mindy Gledhill
この数ヶ月、僕は「ミンディ・グレッドヒルは分かってる!」と叫び続けてきた。この人のアルバムからはポップってのはこういうものさ、という自信が滲み出ていると思う。tr. 2『Trouble No More』がツボ中のツボ。僕の好物ばっかりいっぱい詰まってる。決して大袈裟な表現ではなく、棄て曲なし、最高に幸せな30分あまり。
『D'ACCORD』
SERGE DELAITE TRIO with ALAIN BRUEL
アトリエサワノのピアノトリオが大好きです。2枚同時発売のうちの1枚。これはピアノトリオにアコーディオンを加えた演奏。明るい休日のランチ。冷えた白ワイン飲みたくなる感じ。
J.S. Bach/Goldberg Variations
Simone Dinnerstein
ゴルトベルク変奏曲からグールドの影を拭いきれないのは仕方がない。この人の演奏には”脱・グールド”みたいな気負いはなく、曲に対してもグールドに対しても愛情に満ちていて、丁寧で、やさしくてすごく好きです。