料理が好きなので、自然と食器についても興味が湧く。
何か作れば、どの器に盛ろうか必ず考えるし、器を見て何を作ろうか想像してみたりする。
器はもともと『うつはもの』で、空ろ(うつろ)や空蝉(うつせみ)と同じく、中が空っぽであることをさす『うつほ(空)』からきている。空っぽのものであれば、何かで満たさなくては。
国家は少数の異常な人々を挙げて、その名誉を誇るかも知れない。しかし一国の文化程度の現実は、普通の民衆がどれだけの生活を持っているかで判断すべきであろう。その著しい反映は、彼らの日々の用いる器物に現れる。
―『民藝四十年』/柳宗悦 より
何も高価な食器を使わなくてもいいと思う。ただ普段使いのものにもほんのちょっとだけ神経を使い、気に入ったものを使うことにしている。店先で出会い、使い方ひとつで様々に表情を変える器たち。自然に愛着も湧いてくるというものである。
器への愛…。
いとおしいモノたち。
引越しのとき、食器のダンボールは20箱になった。それはとりもなおさず僕の食器への愛の形に他ならない。ただ荷造りも荷解きもそりゃあ大変だった。
今日はその愛のいくつかをお目にかける。
千鳥模様の小皿。
鯉と桜の印判。
写真ではわかりづらいが、うすいピンクで桜の花びらが押してある。
ティーマのスクエア。
この落ち着いた色と使いやすい形。
同じ形の白とともに登場頻度高し。
乳白のガラスのお皿。
ガラスの食器はあまり持っていないが、これはすごい。
瑪瑙のような感じを与える。
古伊万里の蕎麦猪口。
小ぶりなのでぐい呑みとして使っている。
これも古伊万里。
このサイズは使いやすい。汁をはるようなものに。
取り皿としてよく使う。
五徳跡がいい感じ。
白岩焼の片口。
片口が好きで、やたら増えた。
Höganäs keramik(ホガナス・ケラミック)の食器たち。
前はこのシリーズはBodaNovaブランドで出ていた。
和も洋も問わないマット感がいい。スウェーデンの名食器。
飯碗。
飯碗は天目形が好きだ。ご飯を食べるときは必ずこれ。
白磁の蕎麦猪口。
蕎麦猪口は便利なので、色んな使い方をする。
今年の夏、アイスコーヒーを飲むのは必ずこれだった。
黒いお皿。
土ものなのにこの薄さはすごい。これも何にでも合わせやすい、便利なお皿。
よく見るとちょっと灰釉がかかっている。
これは最近手に入れた。
安南(ベトナムのこと)風の鉢。でかい。
これも最近。
古伊万里、片変わり蛸唐草文様の長角皿。
そしてこれ。ビールを飲むときはもっぱらこれである。
イッタラ『タピオ』のタンブラー。
くびれからのふくらみ、直径、ふちの薄さ、持ったときの重量感。
完璧です。
実はもう、収納する場所がない。
食器棚・上段。
食器棚・下段。
大きいものは上へ積み上げる。
完全にキャパ超えである。
今、僕は自らの愛を持て余し、困っている。
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『Pocketful of Poetry』
Mindy Gledhill
この数ヶ月、僕は「ミンディ・グレッドヒルは分かってる!」と叫び続けてきた。この人のアルバムからはポップってのはこういうものさ、という自信が滲み出ていると思う。tr. 2『Trouble No More』がツボ中のツボ。僕の好物ばっかりいっぱい詰まってる。決して大袈裟な表現ではなく、棄て曲なし、最高に幸せな30分あまり。
『D'ACCORD』
SERGE DELAITE TRIO with ALAIN BRUEL
アトリエサワノのピアノトリオが大好きです。2枚同時発売のうちの1枚。これはピアノトリオにアコーディオンを加えた演奏。明るい休日のランチ。冷えた白ワイン飲みたくなる感じ。
J.S. Bach/Goldberg Variations
Simone Dinnerstein
ゴルトベルク変奏曲からグールドの影を拭いきれないのは仕方がない。この人の演奏には”脱・グールド”みたいな気負いはなく、曲に対してもグールドに対しても愛情に満ちていて、丁寧で、やさしくてすごく好きです。