冷蔵庫の中にしめじが残っていた。
そろそろ使わないと悪くなってしまう。他の材料を考慮して、オムライスにすることにした。
それもごく簡単に。たまごでくるまず、上に乗っけるようにしよう。これなら失敗もない。
できあがったのは、『しめじとツナのオムライス』。
かなり適当につくったが、なかなかの味になりました。
【材料】
しめじ、ツナ缶、タイム、たまご、パルミジャーノ・レッジャーノのすりおろし、ごはん、バター、オリーブオイル、サラダ油、ケチャップ、白ワイン、塩、胡椒
フライパンにオリーブオイルを入れて火にかけ、石づきをとったしめじ、ツナ、タイムを炒める。
全体に油がまわったら、白ワインをふりかける。
ごはんをいれ、木べらで切るように全体を混ぜ炒める。
塩、胡椒で味を調える。
ごはんはこれで完成。
器に盛り付ける。
ボウルにたまごを割り入れ、軽く塩・胡椒をし、パルミジャーノ・レッジャーノのすりおろしを入れる。
泡立て器で白身のコシを切るようによく混ぜ合わせる。
フライパンにバターとサラダ油(バターだけだと焦げやすいので)を入れ、バターが融けてパチパチとはじけたら卵液を一気に流し入れる。
フライパンをゆすりながら手を休めず混ぜ続ける。
とろりと半熟になったら、そのままごはんの上に滑らせるようにして乗せ、ケチャップをかけて完成。
土曜日の昼下がり。
そこそこイケてるオムライス。
いいランチでした。
虚空を見つめて、背中に2本の木の棒を支えている鳥。
鳩か。
箸置きの話である。
居酒屋で割り箸の入っていた袋を折りたたんで丁寧に箸置きを作っている人間(特に男子)をもって、狭量とか神経質とか嗤う向きもあるかもしれない。
でも、僕はそうは思わない。
そもそも箸は万の神に近い神聖な道具である。山の幸海の幸を大切に箸でつまみ上げ、口に運ぶ。箸が、万物に宿る神とひとを媒介しているのだ。だからこそ日本人は箸に特別な感情をこめる。迷い箸、ねぶり箸、直箸は厳禁。ましてや人が使った箸を他人に使わせるなど禁忌に等しい。自分の箸で触った食物は他人にとってはすでに不浄なものなのだ。それは、あたかも遺伝子に組み込まれたかの如く、日本人の体に芯までしみついた生理的な感覚である。
箸置きはつまり、聖なる道具の先端を穢れから守るためにほかならない。
―珊瑚の箸置きの場合「箸置き」/平松洋子
『平松洋子の台所』(ブックマン社,2001)所収 より
西荻窪に越してきてテーブルが広くなったので、わが箸置き君たちの出番も増えた。
三鷹台時代から使っていた、ちんまりとかわいらしいテーブルでは、ひとりのときはまだしもふたり以上となるとスペースの確保が精一杯で、箸置きを置く余裕がなかった。
箸置きをあたりまえに使うことができるようになったことを、とても嬉しく思う。
ところで、『平松洋子の台所』から2度目の引用である。
僕にとってこの本は啓蒙の泉なんです。
西荻は今、雪です。
本格的に寒くなってきたけれど、キャベツは春っぽいのが出回り始めた。
やわらかくて、巻きが緩やかな春キャベツ。葉っぱが少しむらさきがかっている。
こういうやわらかいキャベツを見ると作りたくなるメニューがある。
『アンチョビとキャベツのパスタ』だ。アンチョビは旨みも香りもが強い。唐辛子でピリッとさせて、キャベツの甘みが引き立つようなパスタにしたい。
【材料】(2人分)
キャベツ 3~4枚、アンチョビフィレ 2~3枚、にんにく 1~2かけ、唐辛子 1本、オリーブオイル(EXバージン)、塩、胡椒、白ワイン、スパゲティー
パスタ用のお湯を沸かす。茹で汁1ℓにつき、10gの塩を入れる。
キャベツの葉は、ざくざくと刻む。豪快なくらいがいい。
芯の部分は火が通りにくいので、薄くスライスしておく。
アンチョビは包丁で叩いてペースト状にしておく。
にんにくと唐辛子のオイルを作る。
包丁の腹でつぶしたにんにくとオリーブオイルをフライパンに入れ、火にかける(弱火)。フライパンを傾け、にんにくを揚げるような感じでオイルに香りをうつす。
にんにくがきつね色になったら、種を除いた唐辛子を入れ、辛味をオイルにうつす。
オイルができたくらいのタイミングで、パスタをお湯の中へ。
オイルにアンチョビを入れる。このとき油がはねるので注意。フライパンをゆすって、アンチョビが焦げないようにする。白ワインをふりかける。
パスタの茹で汁を入れ、弱火にかけながらフライパンをゆすって、ソースを乳化させる。
パスタの茹で時間が残り2~3分くらいになったら、キャベツをパスタ鍋の中へ入れて、パスタと一緒に茹でる。
茹で上がったら、ソースとよく和えて完成。
野菜は一足先に春味になった。
そういえば、もう菜の花も出ていた。
とりあえずは幽かな足音を聞いておく。
春の訪れはまだもう少し先の話だ。
ジョージ・セル(George Szell,1897-1970)は、ハンガリー生まれの指揮者である。
彼の音楽は精緻、正確無比。主観的解釈を排した演奏で古典派の音楽に名録音を残している。
ロマン派の作品の演奏では、その演奏スタイルから冷たい・固いという印象もあるが、故郷を同じくするドヴォルザークの作品には、ボヘミア的叙情性と人懐っこさを持った素晴らしい演奏を残している。
1946年からはアメリカ・クリーブランド管弦楽団の常任指揮者・音楽監督となり、その厳しい訓練により、当時地方の一オーケストラに過ぎなかった同楽団を世界最高のアンサンブルといわれるまでに鍛え上げた。
1970年の大阪万博の際にクリーブランド管弦楽団を率いて初来日。そのときの演奏は現在でも日本クラシック史上、最高といわれるほど深い感銘を与えている。帰国後、間もなく癌のため死去。
セルのレコードは、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』、第8番、ドヴォルザーク交響曲第7番、第8番(2種)、第9番『新世界より』、チェロ協奏曲(フルニエとの共演)、スラブ舞曲集を持っている。ドヴォルザークが多い。
今日、聞いているのがこれ。
ベートーヴェン交響曲第3番『英雄』
ジョージ・セル指揮
クリーブランド管弦楽団
(1957,SONY RECORDS)
録音がステレオ初期('57年)なので多少古臭さを感じないでもないが、この高潔な演奏は胸に迫る。
さて、そんな20世紀のマエストロ、セルの『エロイカ』を聴きながら食べているのが『ソース焼きソバ』だ。しかも具に魚肉ソーセージが入っている。
なぜ、セルと焼きソバなのか。
特に理由はない。たまたまである。
魚肉ソーセージをご存じない方のために、拡大写真をお目にかける。
これだ。
この色といい、中に何が入っているかよくわからない感といい、どうも避けてしまいがちになる食材なのだが、食べてみるとなかなかいけるのであった。
『毎日かあさん②お入学編』/西原理恵子
(毎日新聞社,2005)
ジョージ・セルは大変な食通としても知られていた。
魚肉ソーセージ入りのソース焼きソバは彼の口に合っただろうか。
贅沢とはなんだろうか。
独特の語釈で多くのファンを持つ(僕もそのひとりだ)三省堂『新明解国語辞典(第5版)』にはこう定義されている。
- 衣食住や趣味・娯楽などに必要以上にお金(や時間・人手)をかけ△る(て、自己満足にひたる)こと。また、その様子。
- そこまで望むのは△分をわきまえない(必要を超えた)ことだと考えられること。また、その様子。
- 望み得る最高の状態が実現され、それ以上を期待することは△無理な注文だ(欲が深過ぎる)ととらえられること。また、その様子。
自己満足かもしれない。でも、たまには贅沢もいいじゃないか。それもささやかな贅沢だ。
贅沢な朝食。
何が贅沢なのか。
このパンが贅沢なのだ。
起きて歯を磨いたら、寒いけれど焼きたてパンを買いに行く。『ムッシュソレイユ』へ!
『ムッシュソレイユ』は近所のパン屋さんだ。片道5分。
帰ってきたら、お湯を沸かす。バターを冷蔵庫から取り出して今日使う分を常温に戻す。
買ってきたパンを厚めにスライスして、残りは冷凍庫へ。これくらいのタイミングでお湯が沸く。これで準備は整った。あとは時間との勝負となる。
トースト、スクランブル・エッグ、コーヒー。この3つを完全な状態にして朝食に取りかからなければならない。
まずはコーヒーを淹れる。やかんで沸いているお湯は温度が高すぎるのでコーヒーポットに一度移す。これで湯温約90℃。まずはコーヒーの粉を湿らせる程度にお湯をかけ、30秒~40秒ほど待つ。コーヒーを蒸らすのだ。コーヒーの粉がドーム状に膨らんだら、お湯を2~3回に分けて、中心から螺旋状に回しかける。コーヒーカップはお湯で温めておく。
すかさずパンをトースターへ。
フライパンを火にかけ、バターを入れる。ボウルにたまご2個を割り入れ、白身のコシを切るように混ぜる。バターが融けてパチパチとはじけだしたらたまごを一気に流しいれ、フライパンをゆすりながら手を休めずスクランブルする。たまごに完全に火が通ったスクランブル・エッグなんて御免だ。かといって卵液が流れ出すようでは気持ちが悪い。火の通り具合に細心の注意を払う。
お皿に盛り付けたら塩・胡椒。ケチャップもいい。ここでトーストが焼き上がる。すかさずテーブルへ運んで、あとは食べるのみだ。
近所においしいパン屋さんを持つのは幸せなことだ。
『ムッシュソレイユ』はちょっと値段が高いけれど、おいしいパンを作るいい店だ。駅からだと徒歩15分はかかるのにわざわざ遠くから買いに来る人がいるくらい。
こんな店を近所に持つことができた僕はラッキーだ。
先程の『新明解国語辞典』には贅沢についてこんな用例が出ている。
―「この経済危機を乗り切るにはまず身辺から贅沢を追放することだ」
経済危機と朝食なら、僕は迷わず朝食をとる。
さて、おいしい朝食を食べたらどうするか。
もう1回寝る。これが一番の贅沢だ。
確かに、これ以上を期待するのは欲が深すぎるととらえられるし、またその様子だ。
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『Pocketful of Poetry』
Mindy Gledhill
この数ヶ月、僕は「ミンディ・グレッドヒルは分かってる!」と叫び続けてきた。この人のアルバムからはポップってのはこういうものさ、という自信が滲み出ていると思う。tr. 2『Trouble No More』がツボ中のツボ。僕の好物ばっかりいっぱい詰まってる。決して大袈裟な表現ではなく、棄て曲なし、最高に幸せな30分あまり。
『D'ACCORD』
SERGE DELAITE TRIO with ALAIN BRUEL
アトリエサワノのピアノトリオが大好きです。2枚同時発売のうちの1枚。これはピアノトリオにアコーディオンを加えた演奏。明るい休日のランチ。冷えた白ワイン飲みたくなる感じ。
J.S. Bach/Goldberg Variations
Simone Dinnerstein
ゴルトベルク変奏曲からグールドの影を拭いきれないのは仕方がない。この人の演奏には”脱・グールド”みたいな気負いはなく、曲に対してもグールドに対しても愛情に満ちていて、丁寧で、やさしくてすごく好きです。